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兼 六 園
水戸の偕楽園、岡山の後楽園と並ぶ日本三名園の一つで江戸時代の代表的な林泉回遊式大庭園の特徴をそのまま今に残している。
宏大・幽邃・人力・蒼古・水泉・眺望の六勝を兼備するという意味で「兼六園」と命名された。
昭和60年(1985)3月20日、文化財保護法により特別名勝に指定された。
根上松(ねあがりまつ)
大小40数本もの根が地上2mにまでせり上がった奇観はたいへんな迫力で、兼六園名物の一つとなっています。
この松は、13代藩主・斉泰(なりやす)が土を盛り上げて若松を植え、根を深く土で覆い、成長後に土をのぞいて根をあらわにしたものだと伝えられています。
菊桜(きくさくら)
一つの花柄から花びらが300枚をこえ、菊の花のようなところからこの名がつけられた。
開花期は4月下旬から5月上旬までの約1ヶ月間と長い。つぼみは始め濃紅色であるが、緑の葉化雌ずいを花の中央に突出している。
開花とともに次第に淡紅色に変わり、散る時には白に近くなり、花柄とともに散る。 全国にある桜の中でも最も珍しい品種である。
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徽軫灯籠(ことじとうろう)
霞ヶ池の北岸に配された兼六園を代表する景観です。
徽軫灯籠は足が二股になっていて、琴の糸を支える琴柱(ことじ)に似ているのでその名が付いたと言われています。
この灯籠は水面を照らすための雪見灯籠が変化したもので、
高さは2.67m。かたわらのモミジの古木、曲水に架かる虹橋と一体となって優れた風景を醸し出しています。
七福神山(しちふくじんやま)
12代藩主・斉広(なりなが)が造営した竹沢御殿に附帯していた庭園の一部。
「福寿山」とも呼ばれるこの山は、曲水、築山、雪見灯籠など、当時の雰囲気をそのままに伝えています。
また、七福神になぞらえた七つの自然そのままの石を配置しているのも大きな特徴。
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内橋亭(うちはしてい)
かつて蓮池庭内にあった四亭の一つで、霞ヶ池の西南岸に設けられた水亭。
蓮池馬場の馬見所に建てられていたものを、明治7年(1874)、現在の場所に移築しました。
栄螺山のうっそうとした樹々を背景に、石脚で支えられたこの亭は、まるで水面に浮かんでいるような印象を与えます。
蓬莱島(ほうらいとう)
蓬莱島は霞ヶ池に浮かぶ島で、亀の形をしていることから別名亀甲島ともいわれている。黒い大きな立岩が頭、
対極の石塔が亀の尾をあらわしたものとされている。霞ヶ池を海に見立てて、不老長寿の島、神仙島をなぞらえたものである。
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霞ヶ池(かすみがいけ)
兼六園の中心部にあり、園内一大きな池が霞ヶ池である。池を中心にして
栄螺(さざえ)山、内橋亭、徽軫(ことじ)灯籠、虹橋、唐崎松、蓬莱島などの各名勝を配置し、
廻遊しながら庭景を楽しめるよう園路が巡らされている。
それぞれの眺めの趣は異なり、近景・中景・遠景の造園手法が駆使されている。兼六園の中で最も景観のすぐれている場所の一つである。
明治紀念之標(めいじきねんのひょう)
中央に日本武尊像を、左に石川県戦士尽忠碑を据える明治紀念之標は、西南戦争で戦死した郷土軍人の霊を慰めるものです。
銅像の身長は5.5m、明治13年 (1880)日本で最初に建てられた銅像といわれている。
両脇に植えられた赤松は「手向松(たむけまつ)」と呼ばれ、当時、京都の東西両本願寺の門跡から移されたものです。
カキツバタが咲きはじめました。
兼見御亭(けんけんおちん)
大正五年からの加賀料理の老舗で、兼六園の小立野口に近く大きな駐車場もある。
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