伊勢神宮

伊勢神宮は「お伊勢さん」や「大神宮さま」と呼ばれて日本人の心のふるさとといわれています。
正式名称は「神宮」といい、伊勢の宇治の五十鈴川上にある皇大神宮(内宮)と、
伊勢の山田の原にある豊受大神宮(外宮)の両大神宮を中心として、14所の別宮43所の摂社、24所の所管社があります。
「神宮」はこれら125の宮社の総称です。

神宮参拝の順路は、多くの場合まず外宮 からというのが古来からのならわしです。


豊受大神宮(外宮)

祭神は天照大神のお食事を司る神の豊受大御神(とようけおおみかみ)です。
内宮創設から500年後に迎えられました。
衣食住をはじめあらゆる産業の守護神としてあがめられています。

まずは防火のために作られたという人工の川「堀川」にかかる火除橋を渡ります。
真ん中の看板には、「ここでは左側通行」と書いてありますが内宮では「右側通行」と書いてあります。

橋を渡ると外宮の神域なので、、渡った先にある手水舎で心身を清めます。

第1、第2の鳥居をくぐり参道の玉砂利を踏んで正宮へと向かいます。



右手に神楽殿が見えてきます。



神楽殿を過ぎて進んで行くと、石の周りを小さくしめ縄に囲まれた場所があります。
これが伊勢神宮外宮のパワーポット「三ツ石」です。
正式には川原祓所(かわらはらいしょ)と言うそうで、伊勢神宮の式年遷宮のときに神宮祭主や奉仕員を祓い清める場所だそうです。
この「三ツ石」、手をかざすと温かい感じを受ける人が多いことで知られており、
麻生総理大臣も1 月 4 日の恒例の参拝で、この「三つ石」に手をかざしエネルギーを感じられたそうです。




「三ツ石」を過ぎたところが伊勢神宮外宮のご正宮となっています。

外宮の正宮を囲む塀。中に伊勢神宮の建築様式「唯一神明造」の屋根が見えます。

外宮の正宮です。「これより内での撮影はご遠慮ください」と書いてあるので撮影はここまで。
しかし、左側の巨木はなぜこんなに傾いているのでしょう?

平成25年の第62回式年遷宮を予定地。

外宮正殿の参拝を終え、別宮の参拝へ向う水路に架かる平たい大きな石は、「亀石」と呼ばれています。
この石は、三重県下最大の横穴式古墳「高倉山古墳」の入口の石だったと伝えられているようです。

「亀石」を斜めから見た写真です。石橋の端に突き出た部分が、亀の頭に見えます。



皇大神宮(内宮)

皇室のご祖神の天照大神をお祭りする、我が国で最も尊いお宮です。
五十鈴川の川上に千古の森に囲まれて2000年の時を超えて古代のたたずまいを今日に伝えています。

内宮への入り口の「宇治橋」を渡ります。
五十鈴川に架けられた木造の橋で長さは 101.8m、両端にある鳥居の内側の鳥居は、内宮の旧正殿の棟持柱が用いられ、
外側の鳥居は外宮のものがあてられます。
なぜか内宮では「右側通行」と書いてあります。

庭園のような植え込みが続く広い参道を進んでいきます。


参道を進むと右手に五十鈴川の川岸につくられた「御手洗場(みたらし)」があります。
大勢の参拝者は、広い緩やかな石段を下って川岸で、手を清めています。
以前は、口も清めていたそうですが、衛生的な問題もあったのか、手だけの清めににしているようです。

御手洗場を過ぎると参道は第二鳥居が見えてきます。


三重県内の清酒製造業者で構成する三重県酒造組合が、
毎年「日本酒の日」である10月1日に品質の優れた三重の酒を県内外にアピールするため実施した「神宮菰樽奉納」

白装束、黒装束などいろいろな参拝者


内宮神楽殿(ないくうかぐらでん)
 参道の左側、銅板葺・入母屋造の建物で、「神楽殿」「御饌殿」「御神札授与所」があります。
神恩感謝やご祈願の御神楽の奉奏、御饌を奉奠しての御祈祷や献金、皇大神宮の御神札・御守・暦・御神号軸などが受けられます。
内宮参拝記念の御朱印もここでいただけます。また、御遷宮の御造営資金の献金の受付もしています。


次々と参拝者が「御正宮(ごしょうぐう)」へ昇る石段を登って行きます。
石段の下で写真撮影をするよう言われ、皆さんここで記念写真を撮っています。

御正宮のある石段の上を拡大してみました。大きな鳥居と、茅葺屋根の門が見えます。

 垂仁天皇26年にご鎮座されてから、2000年。4重の御垣に囲まれた一番奥にあるご正殿に、
天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)がお鎮まりになっています。

唯一神明造(ゆいいつしんめいづくり)と名付けられる建築様式のご正殿はじめ付属の殿舎ならびに御垣は、
20年に1度、式年遷宮の大祭を行って建て替えられてきました。
遷宮によって、2000年昔と変わらない姿を今も拝することができるのです。

平成25年第62回式年遷宮が予定されています。

おはらい横丁

伊勢神宮内宮門前で栄えるおはらい町の一角にある横丁。
第61回神宮式年遷宮の1993年(平成5年)7月16日に、お伊勢さんの「おかげ」という感謝の気持を持って開業した。

江戸期から明治期にかけての伊勢路の代表的な建築物が移築・再現されている。
約2700坪の敷地内に伊勢路の代表的な建築物が移築・再現され、
三重の老舗の味、名産品、歴史、風習、人情まで一度に体感できる。

町並みの特徴は、伊勢人が「神様のお住まいと同じ平入りでは恐れ多い」と
妻の部分に玄関を設けた「妻入り」と、雨風の強い伊勢ならではの外壁の仕上げ「きざみ囲い」などが主です。
建築材料は、栂材を使用している。

伊勢路の田舎料理でおもてなし「すし久」

  おはらい町通りの中ほどにある、ひときわ大きな古いたたずまいの店が「すし久」。
この建物は、明治2年の遷宮時に出た宇治橋の古材で建てられており,、
民間で神宮の古材を下賜 された唯一の例で伊勢の貴重な文化資産でもあります。
創業は、参宮客で賑う天保年間といわれ、料理旅館として明治から昭和初期に最も繁栄をきわめ勅使の宿をも努
めた。

太平洋戦争後一時休業したが平成元年に現在の伊勢志摩の田舎料理店として蘇った。

最も人気が高い料理は「てこね寿し」です。

「てこね寿し」とは、昔鰹漁に出たこの地方の漁師さんたちが、釣った鰹の身を、船上で醤油漬けにし、
あらかじめ用意していた酢飯と手で豪快に混ぜて食べたことからこの名が付いた。

旬の味覚をふんだんに盛り込んだてこね寿しのお膳
(季節のてこね寿し、炊き合わせ、茶碗蒸し、小鉢、赤出し、デザート)