松 前 公 園

松前は、アイヌ系住民と和人の間で 100年ちかく続いた民族戦争を武力で鎮圧した松前氏の家祖・武田信広が室町時代に居城を構えたことに始まる。
江戸時代、蝦夷地の豊かな海産物の交易独占を幕府より認められた近江商人によって栄え、仙台以北最大の城下町となった。



松 前 城

幕末、ロシアの南下を恐れた幕府の命を受け松前藩 17世崇広が北方防備強化にため安政元年(1854)に築城した。
日本最後の旧式城郭で正式名称は福山城。
明治維新の戊辰戦争で土方歳三を隊長とする旧幕府軍の攻撃をうけて落城。
現在の天守閣は昭和38年(1963)に復元されたもので、築城時から残っているのは本丸御門のみ。
国の重要文化財に指定され、内部は藩政時代の貴重な資料や遺物を展示する松前城資料館となっている。

 

搦手二ノ門

松前公園

松前城のお堀のある一帯は、早咲きから遅咲きまで約1万本の桜が咲きみだれる美しい公園になっており、
4月下旬〜5月下旬の長期にわたって楽しめる。
園内には桜見本園、桜資料館と寺町がありのんびりと散策を楽しむことが出来る。

桜見本園には、古い品種から松前で開発された新品種まで、約 130種 480本の桜が保存管理されている。
北海道の学術自然保護区に指定されているが一般に開放されている。



月琴堀

書家 金子鶴亭像
 


松前の名木・古木

光善寺境内の「血脈桜(けちみゃくざくら)」

松前一のさくらの古木.。樹齢は300年以上で、松前を代表する品種の「南殿(なでん)」は、この血脈桜を親木にして増やされた。
1973(昭和48)年に北海道の記念保護樹林に指定されています。

【血脈桜伝説】
松前城下に住む鍛冶屋の柳本伝八がある年の春、娘の静江を連れて上方見物に出かけた。
吉野で知り合った一人の尼さんから送られた1本の桜の苗を土産に持ち帰り、菩提寺に献納した。
宝暦年間、本堂修理のため、この桜を切ろうとした前夜、住職の枕元に一人の女性が現れ、
「死は明日に迫る身、血脈を与えられよ」と頼みました。
住職は「明日にしてくれ」と断っても聞き入れないのでやむなく本堂に入れ、念仏を唱えて血脈を与えました。
翌朝、住職が切り倒されようとする桜を見上げたとき、葉の間に白いものが動いたので近寄ってみると、
それは前夜与えた血脈でした。「前夜のことはさくらの精がしたことだ・・・」と直ちに伐採を中止し、盛大に供養を行い、
血脈の名が付けられた。
「血脈」=死んだ人が仏になれるようにお坊さんが与える書付のこと。

北東石垣の「雨宿」

松前城の北東石垣にある「雨宿」は、樹齢がおよそ70年で、日本最大級の雨宿です。
花は白色で、大輪、香りが非常に強い品種です。

龍雲院の「蝦夷霞桜」

霞桜は日本各地に広範囲に自生し、松前では八十八ヶ所霊場の斜面などに自生している。
龍雲院境内にある蝦夷霞桜は、植物分類学者で元北海道大学教授の館脇操博士が、
特にこの古木に「エゾカスミザクラ」と命名した。

天神坂の「夫婦桜」

平成19年5月1日に命名された天神坂の「夫婦(めおと)桜」は、染井吉野と南殿が1本の根から育っている。
昭和の初め頃、鎌倉兼助氏が染井吉野を台木に、南殿を接ぎ木したものです。
ソメイヨシノは若いとき丈夫で成長が早く、腕くらいの太さになっているのに気づき、切るのが惜しく、両方とも伸ばすことにしたそうです。
1本の木に寄り添うように咲く染井吉野と南殿が、中睦まじい夫婦のようであることから、「夫婦桜」と命名された。
(写真手前の白っぽい桜が染井吉野、奥の淡紅色の桜が南殿)