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A点写真→
明治33年5月7日、堀川中立売−下ノ森間の北野線が開通しました。この時に堀川に橋梁が架けられました(左図赤線部分、当時の写真では木橋か鉄橋か不明。煉瓦の橋台は現在も残っているが、水路と思われるコンクリートアーチ橋が架けられている)。 転車台に進入した車両が勢い余って、先の民家に何度か突っ込んだという話もあるそうです(この転車台を写真で見ると直径3m程度で、前輪と後輪がギリギリ載っている大きさ)。 |
←B点写真 当初、単線運転で列車交換がずさんだったため、上り下り車両が鉢合わせになり、運転士どうしが譲らず、客を巻き込む喧嘩になっていたと言われています。 後に複線化されたときに、橋梁も架け替えられました(上図青線部分)。 |
C点写真→ 残念ながら堀川・北野線が複線化された年が判りませんでしたが、北野線全線開通した明治45年ではないかと推測しています。 鉄橋桁が架かっていた段には新しく石垣が積まれ、緑帯になっています。 |
←D点写真 明治45年6月11日に京都市電が開業し、大正7年7月1日に京都電気鉄道は京都市に買収されました。 いくつかの路線は廃止、いくつかの路線は広軌化されましたが、北野線のみ狭軌のまま存続し、昭和36年7月31日に北野線は惜しまれつつ廃線となりました。京都市電全廃の17年も前のことでした。 |
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