黙山自福寺 火葬場

 所在地:岐阜市松山町
 着 工:明治17年
 竣 工:明治19年5月23日
 設 計:

 明治初期に火葬禁止令(翌々年に廃止)、東京府による火葬場の新設制限、火葬場建設に対しての近隣住民の反対運動などありましたが、少しづつ近代的設備の火葬場が増えていきました。
 明治19年、天文年間(斎藤道三が稲葉山城−後に織田信長によって改名された岐阜城−を居城としていた頃)に建った金龍山圓林寺の後裔である黙山自福寺に近代的設備の火葬場が竣工しました。
 戦前まで株式会社として運営されていましたが、昭和21年の内務省・厚生省通達により火葬場の経営主体は地方公共団体でなければならなくなり、例外として認められている宗教法人である自福寺に運営を引き継ぎました。
 現在でも旧厚生省の通達により民営の火葬場は認可しない方針ですので、東京都内7ケ所の民営火葬場を除くと自福寺の火葬場は珍しい存在といえます。

 残念ながら、明治24年の濃尾地震にも耐えた(とはいっても途中にズレがあった)高さ18メートルの煉瓦煙突は、平成何年かに解体されたそうです。現在は自福寺菩薩石像台座として一部保存されているのみです。


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