所在地:神奈川県川崎市幸区堀川町
竣 工:大正3年12月
設 計:
明治5年5月に新橋−横浜間の鉄道が開通して以来、その鉄道網は全国に拡がり続けました。明治28年1月、琵琶湖疏水による発電で日本で初めての電気鉄道が京都市内を走り、この電気鉄道の波も名古屋、川崎(大師)へと拡がりました。
鉄道院もようやく電化の道を歩み始め(急勾配の登坂力確保やトンネル内での煤煙対策などの電化は明治45年から進んでいます)、大正3年3月に川崎変電所の建物および機械設備工事が始まりました。12月に一期工事が完成し運用が始まりましたが、機械設備の追加工事が進み、翌年6月に二期工事が完成しました。この京浜線の電化により京浜電鉄(現在の京浜急行、かつての大師電鉄)の経営を脅かしたという記録が残っています。
大正10年9月には東海道本線の電化も始まり、大正14年には2代目川崎変電所がほぼ完成し給電を始めました。これに伴って、煉瓦造りの初代川崎変電所(このとき既に関東大震災により建物の一部を失っていました)は大正14年12月に廃止され現在に至ります。
小山洋さんからこの煉瓦建築の存在を教えていただきました。有り難うございます。
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