燈台



 承和六(839)年、帰還する遣唐船のために、朝廷が太宰府に松明を絶やさないように指令しました。これが記録に残る最初の燈台と言われています。その後は、神社の常夜灯(高灯篭)が燈台として船の目印になっていました(もちろん金比羅宮にも常夜灯があります)。

 明治二年元旦、日本で最初の洋式燈台である観音崎燈台が初点灯しました。
 江戸幕府は機材や技師の派遣をイギリス公使パークスに依頼していましたが、それを引き継いだ明治新政府にとって東京湾近傍の燈台建設は急を要していたため、慶応二年から進められていた横須賀製鉄所の建設を監督していたフランス人技師ヴェルニーらに依頼しました。後に野島崎、品川、城ケ島に燈台が建設され、四燈台全てが横須賀製鉄所で作られた煉瓦(「ヨコスカ製銕所」の刻印あり)によるものでした。
 パークスの手配によるイギリス人技師ブラントンは明治改元の直前(慶応四年六月)に来日し、明治三年の神子元島燈台を始め明治九年に帰国するまで、今も稼働している数十基の燈台を造り続けました。

 観音崎、野島崎、城ケ島の燈台は関東大震災により崩壊しましたが、品川燈台のみが無事で、今も博物館明治村に移築保存されています。


 燈台については山谷邦彦さんの「日本の灯台」が、とても詳しいです。画像も詳細データもそちらで参照して下さい。

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