日本煉瓦製造旧六号窯

 所在地:埼玉県深谷市上敷免
 竣 工:明治40年
 設 計:

 明治19年、臨時建設局顧問として中央官庁集中計画の調査のためドイツから来日した建築家ベックマンは、銀座煉瓦街などの煉瓦を製造した小菅集治監の煉瓦の品質に満足しませんでした。
 ベックマンの指摘に従った明治政府はドイツから煉瓦製造技師ナスチェンテス・チーゼを招聘し、良質の粘土が採取できる上敷免に、その深谷出身の渋沢栄一らによって明治20年に日本煉瓦製造会社が創立されました。
 チーゼ自身が設計し明治21年に完成した木造洋館は、チーゼとその娘が住むためのものでした。チーゼらが帰国した後は事務所として使用され、昭和53年には工場新築に伴い史料館になりました。
 日本煉瓦の現存する唯一のホフマン式輪窯・六号窯は関東大震災の際に煉瓦の煙突が崩れ、鉄筋コンクリートに改築されたのと、窯の上にあった乾燥室が撤去されたところ以外は明治40年に建造されたまま、しかも稼働していた昭和43年のまま保存されています。
 工場から深谷駅までは煉瓦を輸送する専用鉄道が敷かれていて、明治の鉄道建設に従事するポーナル自身が設計した現存最古と言われているプレートガーダー鉄橋(福川橋梁・明治28年)も、今は遊歩道となった廃線敷と共に保存されています。
 平成9年には、チーゼ旧居舘(史料館)、六号窯、旧変電所が国の重要文化財に指定されました。

 関東ロケのシメに行きました(ちょっとイザコザがありましたがクリア ^^;)。おかげで大阪の自宅に着いたのは日付が変わる少し前でした(それでも関越−圏央−中央−名神の各自動車道を乗り継いだ割には速い方 ^^)。
 しかし、出来上がった写真はひどいもので(;.;)、今度は北関東ロケをやるんだと決意しました(^^;)。

 今年(1998年)の北関東ロケで行きましたが、重要文化財の説明版が立てられていて、右の写真のアングルだとモロ写りです(;.;)。まだ、こっちの方がマシかな(^^;)。

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