多田銀山

 所在地:兵庫県川辺郡猪名川町
 竣 工:明治期
 設 計:

  安和2(969)年の安和の変の翌年に源満仲が多田に移り住み、この産銀によって源氏の興隆を支えたと言われています。
 もっと遡ると、奈良の東大寺盧舎那仏(大仏)の鋳造の際には多田産の銅が使われたとも言われています。

 私の興味の対象は明治28年から始まった近代化の部分のみなのですが、現地に行ってみると銀山自治会館に人が集まってなにやらやっていました。
 気にせず案内板を見て明治の遺構の位置を確認していると、中から女性が現れて「銀山を見に来たのですね?」と聞くので「はい」と答えると「今、中で銀山についておもしろい話を始めたところなので、入って聞いて行って下さい」と言うので、そのまま吸い込まれて行きました(^^;)。

 中では、多田銀山史蹟保存顕彰会の学習会が行われており、講師として銀山自治会長の中元十三さんが弁舌を振るっている最中でした。
 豊臣の金銀財宝を囚人に坑道に運ばせそのまま生き埋めした話(噂だけだと思っていましたが・・・)や、この狭い字銀山の中に大字本町を始めとする多くの「大字」がある話や、この狭い所に寺が七つもあった(最盛期には3000世帯程あってちょうど良かった)話など、いかにこの銀山が栄えていたかを面白く語っていました(^^)。

 「五・八寸」の蛇の話もあって、太さ五寸(約15cm)、長さ八寸(約24cm)のまるでツチノコのような怪蛇がいるという伝承があるそうで、前述の中元さんも目撃したという話も聞けました(中元さんの場合、太さは確かに10cm程であったが、長さは数メートルだったそうです。いずれにしてもこの辺りは大蛇、毒蛇が多くいるそうです)。

 まだまだ、面白い話はありましたが書ききれないので、興味のある方は下記の顕彰会事務局に連絡して入会すれば資料などを送ってもらえると思います。
 多田銀山史蹟保存顕彰会
 事務局 鈴木盛司 様宅  0727−66−3649

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