大正11年3月、水道布設のための調査を中島鋭治博士に委嘱しましたが、翌年の関東大震災により計画が中断しました。更に、大正14年に中島博士が亡くなったこともあり、計画が大きく遅れました。
昭和2年4月、草間偉博士に再調査を委嘱しました。足尾銅山の鉱毒が心配される渡良瀬川を水源とするため、この時代の地方都市としては高度な浄水技術が必要とされる計画案が、昭和4年1月に市議会で可決しました。昭和5年9月に第一水源地(元宿浄水場)の工事が始まり、昭和7年4月に竣工し給水が始まりました。
建築物の設計は清水三五郎にまかせ、若手らしい自由な発想で、現在では文化財として認められる建築群を造りあげました(平成9年に桐生市水道局の関連施設が12件も文化財登録されました)。
急速濾過場 | 喞筒(ポンプ)屋 |
旧事務所(水道資料館) | 接合井 |
平日で、しかも事前に見学をお願いしていたので、浄水課長さんの対応はすばらしく丁寧なものでした(私を案内している最中も構内アナウンスで呼ばれるほど忙しかったのに)。文化財登録の記念に作ったという写真入りの栞(しおり)まで頂いて、感謝感激です。
雨さえ降っていなければ・・・(^^;)
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