牛田浄水場 旧濾過井上屋

 所在地:広島市東区牛田新町
 竣 工:明治31年8月
 設 計:W.K.バートン

 広島市は河口の三角州に発展したため、井戸水には海水が混じり、河川の水は洪水時には濁り不衛生で、コレラ流行の原因になっていました。
 明治27年に勃発した日清戦争の大本営は広島に置かれ、人口が増加すると共に飲料水が不足し、既に明治23年に創設していた呉鎮守府水道から給水されることもありましたが、広島にも近代水道施設を創設する必要に迫られました。
 当時の広島市の年間予算の10倍以上といわれた建設費用の2/3は国庫を頼りにしましたが却下され、ほぼ同時に軍用水道としての水源池建設が決定し、明治31年8月に完成しました。


牛田浄水場 旧送水ポンプ室
(広島市水道資料館)

 竣 工:大正13年6月
 設 計:

 第二期拡張工事の際に、この送水ポンプ室が造られました。
 広大な濾過池は昭和55年4月から平成8年3月に行われた第七期拡張工事の際に現代的な急速濾過装置に置き換わり、かつての濾過池は埋め立てられ東区スポーツセンターなどに再利用されていますが、その傍らにこれらの遺構はひっそりと佇んでいます。
 旧送水ポンプ室の入口の横に置かれている石額は旧牛田取水門にあったもので、臨時広島軍用水道布設部長として水道布設の指揮を執った児玉源太郎の揮毫によるものです。「不舎晝夜(ふしゃちゅうや)」とは、太田川が流れ晝(昼)夜を問わず市民に恵みを与え続けているということだそうです。
 旧送水ポンプ所は昭和60年7月に広島市水道資料館として生まれ変わり、一般公開されています(水、金、日の9:00〜16:30しか開いていませんので要注意)。

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