所在地:東京都世田谷区弦巻
竣 工:大正13年3月
設 計:中島鋭治
大正時代の初め頃、豊多摩郡渋谷町の町営水道が設立され、多摩川から原水を得る浄水場(現在の砧下浄水場)と共に駒沢給水所の建設が計画されました。建設中に関東大震災がありましたが堅牢な設計のため被害は軽く、大正13年3月に竣工しました。二基の配水塔は互いに融通でき、合わせて5500立方mもの容量があります。
昭和7年10月に東京市に引き継がれ、昭和60年「近代水道百選」に選ばれ、現在も世田谷区と目黒区の一部に配水し続けています。
ここには何度も来ました。水道局に電話して見学させて欲しいと頼み断られ、向かいのマンションの屋上に上がらせてもらいました。ポンプ場を俯瞰できるアングルでしたが、二基の配水塔が重なってしまうという惜しいところでした。
唯一、敷地外から二基の配水塔を見ることができるポイントであった駐車場には立派な医院が建ち、それすらも叶わなくなりました。
幸い日本建築家協会の見学会に参加することができ、敷地内のあらゆるものを堪能してきました。写真は上から配水塔(全く同じものですが手前が第一配水塔、奥が第二)、ポンプ場、量水器室。左下は謎ですが、配水塔からの水とポンプ場からの水が合流するあたりにあるので、弁などを操作・点検する出入り口だと思います。右下はもっと謎(^^;)で、馬水槽みたいな水飲み場だと思いますが、なんでここにころがっているのか判りません(他にもいくつかころがっている)。
古い写真に写っていて気になっていた塔は渋谷町水道布設記念碑であることも判りました。(全て1998年5月15日撮影)
数年前まで門前払いで話も聞いてもらえなかった水道局ですが、世田谷区主催の見学会も催されているようで、少しずつオープンになってきているようです。
浄水場に戻る
ZeroZone マップに戻る