淀橋浄水場跡

 所在地:東京都新宿区西新宿
 竣 工:
 設 計:

 信じられないかも知れませんが、西新宿のビルが林立する辺りから新宿中央公園にかけての土地には、かつて広大な淀橋浄水場がありました。
 明治25年12月に着工、明治32年12月に竣工し、「東京の心臓」と言われた東京最古の近代水道施設は、その機能を東村山浄水場に移し、昭和40年3月末日に閉鎖されました。昭和35年から既に始まっていた「新宿副都心計画」により現在のように再開発され、「淀橋」という地名は失われました(今では小中学校や某カメラ屋にその名を留めているに過ぎません)。
 新宿住友ビル近くの周りの壁には古そうな煉瓦が貼られ、ビルの脇には浄水場で使われていた蝶型弁があります(写真の背景を覆っているのは東京都庁です)。

 淀橋浄水場を建設する際に、沈殿池を掘った土を盛り上げたのがこの富士見台で、ビル群がなかった当時は本当に富士山が見えたそうです。頂にある六角堂も建設当時からあるもので、改修の際に通路の飛び石に沈殿池の壁に使われていた煉瓦が再利用されました。
 河合浩蔵らと共に学んだ中村達太郎が淀橋浄水場内の施設を設計したことは判りましたが、この六角堂も含まれるのかは判りませんでした。
 新宿中央公園の北東の角の斜向かいにある新宿国際ビルディングには東京都水道記念館があり、その4階には資料室もあり水道関係の文献が閲覧できましたが、今では本郷の水道歴史館に移転されています。
 新宿国際ビルから東に進んで青梅街道に出た交差点の北側にある常円寺には、あの辰野金吾の墓があります。

浄水場に戻る
ZeroZone マップに戻る

Copyright(C) Shinichi Takahashi