私について

ダノンというハンドルについて

高校生時代には、クラブ活動として放送部に入っていました。放送部の顧問の先生の友人にNHKの人がおられ、そのつてで夏休みには効果音のテープの整理などのアルバイトに通っていました。

1965年の秋に、そのNHKの人からアルバイトに来てくれないかと頼まれました。それが、NHKの放送開始40周年記念で招聘したスラブ歌劇団の来日公演でした。仕事は開場前にフェスティバルホールに行き、オーケストラボックスの一番後ろに当事工業用TVと呼ばれていたカメラを設定して、指揮者の姿を映します。それをステージ横の合唱団の席で見えるようにセットします。すでに団員が練習している中を指揮台に立って指揮の真似事をし、写るかどうか確認するのはすごく恥ずかしかったです。

さて、セットが終わると、後は終演までする事がありません。何をしたかというと、パンフレットを持って、色々な人にサインを貰いに歩いたのです。その時に最初にサインを呉れたのが、指揮者のオスカー・ダノン氏だったのです。

そこから、最初にパソコン通信を開始するに際し、なにか言い名前が無いかと考えていたときにダノンの名前を思い出し、これしかないと思ったわけです。ちなみにスラブ歌劇団には他の指揮者としてロブロ・フォン・マタチッチ、ミラン・ホルヴァットも一緒に来ました。僕はアルバイト代を貰いながら、一流のオペラをステージ横から見るという、非常にラッキーな経験をさせてもらいました。


通信事始め

大学は理科系でもあり、卒論のデータ整理にはミニコンを使わせてもらったりしたので、電子計算機には興味がありました。最初にNECから出たトレーニングキットは欲しかったのですが、手が出ませんでした。当事創刊されたばかりの[I/O」「ASCII]などの雑誌を。判らないながらも読んでいました。最初に買ったコンピュータはナショナルのJR−100、次にシャープのMZ−2200。

8ビット時代は長かったのですが、ついに80年代中旬頃だったと思いますがNECのPC9801UV2という16ビット機を購入。NHK教育TVでパソコン通信の番組が有り、テキストを買って注目していたのですが、なかなか踏み出せず。結局1992年に初めて、通信にチャレンジしました。速度は1200。

最初は関西地方が主の全国ネットのJ&P Hotolineに加入しました。この時には”ヤン坊”というハンドルで参加しました。途中、「たのしいクラシック」というSIGのOPを引き受け、1999年9月30日のネット廃止まで活動していました。トスカニーニのディスコグラフィーは、最初ここに連載しました。

同じく1992年にはPCVAN,NIFTYにも加入し、活動を開始しました。とくにPCVANでは【トスカニーニ】というタイトルで、色々と書き込みました。現在もPCVANのCLA、及びNIFTYのFCLAには時間があれば読みに行ってますし、必要があれば書き込んでいます。

 やがて、パソコン通信も次々に無くなっていきます。そこで、この「指揮者トスカニーニの世界」を本格的に作成するようになりました。ただ、この頃から公私ともに忙しくなり、あまり更新をすることが出来ていません。でもこれからは、少しずつ充実させていこうと思っています。




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指揮者トスカニーニの世界