岡山新幹線開業30周年記念特別企画
〜山陽新幹線30年の歩み・30周年記念列車(EF58&マイテ49)乗車記

前回は、東海道新幹線から0系がなくなると言うことで、東海道新幹線の歴史を紹介しましたが、今回は山陽新幹線新大阪〜岡山間開業30周年と言うことで、山陽新幹線の歴史を紹介したいと共に、岡山新幹線開業30周年と言うことで企画されたツアー「EF58&マイテ49で行く山陽路紀行」に参加しました。それを乗車記として紹介したいと思います。さらに、3月15日のセレモニー、岡山新幹線運転所の公開の様子も合わせて紹介します。歴史→旅行記→歴史→旅行記と交互に紹介していきます。(写真のサイズを少し大きくしてあります!!)

〜岡山新幹線開業(1972年・昭和47年)

「ひかりは西へ」というキャッチフレーズを元に、山陽新幹線は順次開業をしていった。その始まりが、この岡山開業である。開業以前は、新大阪まで新幹線を利用し、その後急行、特急列車に乗り換えるという形で、岡山まで来ることができた。さらに、この岡山というのは、四国への連絡口として非常に重要な役割をしている。しかし、当時はまだ「瀬戸大橋」は開業しておらず、宇野まで行き、そこから「宇高国道フェリー」所謂、四国連絡船に乗り、高松に渡るというルートを辿っていた。
 というような、重要な位置にいる岡山に新幹線が通ったのは、1972年3月15日。今からちょうど30年前である。これにより、1975年の博多、新幹線開業までは、この岡山が山陽、四国、九州方面への乗り換えの起点となっていた。簡単に言えば、今まで新大阪で行われていたことがこの岡山で行われるようになった。この岡山延伸に伴い、新に、新神戸、西明石、姫路、相生、の駅が開業した。ダイヤの方は、岡山行きはすべて「ひかり号」になっており、このときはまだ「こだま号」は登場していない。なので、山陽新幹線内では、東海道新幹線内とは異なり、「ひかり号」の停車駅が統一されていない。この時点では、まだ3つしかない。@新大阪〜岡山間ノンストップのひかり号A新大阪、新神戸、姫路に停車のひかり号B新大阪〜岡山間各駅停車のひかり号、と3つである。@のひかりを通称「Wひかり」と部内で呼んでおり、所謂(いわゆる)「ウエストひかり」と呼ばれているもので、山陽新幹線内を一番はやく走る「ひかり号」という事になっている。(2000年3月に新大阪〜博多間のひかり号が、700系レールスターに置き換えられるまでの間は、「ウエストひかり」と呼ばれていた。)この時点では、しっかりと3パターンがしっかりしているが、博多開業時には、かなり多様化している。これは現在もそうなっている。東京発毎時00分A、15分@(Wひかり)、30分B、45分新大阪止まりというようなダイヤになっていた。ちなみに、東海道新幹線内の停車駅は名古屋、京都、新大阪のみである。

2002年3月15日A.M10:20分頃

この日は、厳密な新大阪〜岡山間開業30周年という事で、JR西日本が誇るジョイフルトレインを2両ずつを3編成、計6両編成で、岡山県内を一周した。そもそも岡山県の各地から2両編成で運転を始め、10時に岡山駅に集合し、6両編成となり、その後岡山県内を一周するというプランである。実は、参加したかったのだが、東京から来ると間に合わないので、断念した。しかし、東京発ひかり101号に乗れば間に合うので、出発式は見ることができた。すごい人で先頭写真を撮るのにも一苦労、そして係員の人も写ってしまうという事態に・・・・出発する際には、くす玉が割られたり、花束の贈呈が行われた。

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2002年3月15日A.M11:30分頃

県内一周号の出発式を見た後、岡山新幹線運転所に向かう。しかし、そこに行くバスがとにかく混雑していて、挙げ句の果てには1時間待ちになるほどの列だったので、自転車を借りて新幹線の線路沿いを辿って行くことに・・・・バスを待つよりはるかにはやく運転所に着くことが出来た。運転所では、いろいろな新幹線の展示・見学が出来るようになっていた。ここからは、いつもの旅行記のように紹介していく。

untenzyo01.jpg (11176 バイト)untenzyo11.jpg (12212 バイト)まずは、グッズを手にいてるために販売のところに行きましたが、残念ながらあまり残っておらず、灰皿や吊革などをかいました。そこまで、歩いていくことも出来ましたが、0系や500系、700系などのミニ新幹線が走っていました。子供達には大人気でした。
 展示されているのは、全車種で見学できる車両は限られていました。しかし、すごい人などの見学は諦めました・・・・

 

untenzyo06.jpg (10181 バイト)untenzyo07.jpg (10634 バイト)700系以外の車両が入りました。今回は、ドクターイエローと呼ばれる作業列車(点検車両)も展示公開されています。残念ながら、車内には入れませんが・・・さて、まずは、0系です。JR西日本のみで現在は活躍しています。さらに、ウエストひかりということで、青色の帯の下に、さらに1本線が入っています。車内は、快適な車内ということで、かなり改造されています。現在は、4両編成で塗装変更された編成もあります。

2002年3月16日A.M8:00

赤い風船のツアーで、宮島1日観光と往復マイテ49 2に乗車できる30周年特別企画「EF58&マイテ49で行く山陽路紀行」というのに参加した。

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岡山新幹線開業30周年という事で、JR西日本との関係が深い、「日本旅行」の赤い風船の企画のツアーに参加しました。昨日に引き続き、岡山駅には数多くの鉄道ファンがいました。しかし、僕たちのように列車に乗る人は少なかったです。マイテ49というのは、戦前に製造された列車で、階級は1等車になっていて、富士やつばめなどに使われ、優等列車の象徴ともされていました。しかし、台車の数の関係などから、現在では動くことが出来るのは、この1両だけ。日本でもかなり希少価値の車両です。なので、JR西日本ではこの様に、イベント時にかなり活躍しています。このツアーの他にも、一般の臨時列車として、ゴールデンウィークにも同じ編成で走りました。

dantai.jpg (8185 バイト)12kei-3.jpg (9791 バイト)マイテ49の他はすべて12系客車です。クロスシートで、昔の急行列車のようです。一応、号車は指定されていましたが、座るところは決められていなかったので、真ん中当たりで陣取ることにしました。運が良く、反対側に誰も来なかったので、足を伸ばしながら行くことができました。

 

 

natukashi.jpg (12184 バイト)okayama3.jpg (12990 バイト)岡山駅の電光掲示板には「懐かしマイテ」と書かれていました。昨日と同様記念列車なので、出発式が行われました。看板は、昨日と同じ様な感じですが、ちゃんとマイテ用になっています。

 

 

 

〜博多開業(1975年・昭和50年)up01.gif (905 バイト)

岡山に新幹線が延伸したことによって、新幹線人気が起こり、昭和47年春には、山陽新幹線博多開業時のために早期発注の3編成が急遽、発注された。(要は、早期投入をさらに早めたということ)さらに、翌年の10月のダイヤ改正では、出来る限りの臨時に対応することを考えるダイヤにし、臨時列車には、さきほど早期発注された3編成がフルに使用された。そして、昭和48年から博多開業用の16両編成(博多開業時には16編成になる)のうち、ビュフェ・食堂車の車両を除いた12両(ビュフェ+普通車・食堂車+普通車の2両編成で1ユニットになっていたので、4両抜けることになった)が、徐々に運用に就いていき、全21編成が東京に勢揃いした時点で、残りの4両を増結して、16両編成となり、昭和50年9月5日に食堂車が開業した。さらに、車椅子や障害者設備など、長距離な旅行にも重要な設備が揃った。これは、岡山新幹線開業効果で国鉄もここまで、新幹線が好評だとは思っていなかったのだろう。
 車両面では、この様に早期発注で間に合ったが、保守面ではすこし危機感を感じた国鉄は、博多開業前に保守の充実と事故を未然に防ぐために、需要の少ない水曜日に新幹線全区間半日運休という異例の措置をとった。それが、昭和49年12月から翌50年2月までの4回実施した。今回の水曜日半日運休時には、、まだ東海道本線の代行特急は走っていない。
 そして、保守・設備・車両・サービスのすべての側面を強化して、昭和50年3月10日。「ひかりは西へ」の到達地点である博多まで新幹線は延伸した。このときに、ひかりを一時間に4本・こだまを4本(東海道新幹線内)とし、基本的に「こだま」は新大阪止まり、山陽新幹線内のみの「こだま」も4,5本は存在した。ひかりは、12分ヘッドとし、36分発以外はすべて定期列車。12分発が新大阪止まり。00分がウエストひかりで博多行き(停車駅は基本的に新神戸以外の現在の「のぞみ」停車駅)24分発が岡山行き(停車駅は名古屋、京都、新大阪、新大阪以西は各駅)48分発が博多行き(停車駅が名古屋、京都、新大阪、新神戸、岡山、岡山以西は各駅)と3つのパターンになっているが、博多開業以降は、ウエストひかり以外の停車駅は特定が難しく、この開業時にも「ウエストひかり」のパターンも少し分かれており、小郡停車のウエストひかりもある。さらに、博多発に関しては、新大阪行きひかりもあり、停車駅は、小倉・新下関・新岩国・広島・岡山・新大阪となっていた。

2002年3月16日A.M10:00

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マイテ49の見学はそれぞれ車両ごとに行われました。12系との決定的な違いは、その車両の性質です。例えば、マイテは木が至る所に使われています。なので、マイテと12系の連結部分を渡った瞬間から、まるで時代がタイムスリップしたような感じを受けます。まず、マイテにはいると便所や洗面所があり、そこを抜けると、コンパートメントがあり、2人用です。コンパートメントといっても今のように区切られているわけではありません。どちらかというと、ボックスシートに近い物がありますが、座席の質が全く違う上品な物なので、座っていても苦を感じません。さらに、車内を進んでいくと、いよいよ一等客室です。すべて一人掛けになっていて、窓の方を向いています。場所によっては、2人で使えるようにもなっています。座ってみると、その重圧感に圧倒されます。確かに、500系のぞみやE4系MAXなど、素晴らしいグリーン車はたくさんありますが、座席という枠内ですね。このマイテはまるで、列車の中にいるのを忘れてしまう感じです。現在ではグリーン車というものは身近な存在になりましたが、この車両は戦前から走っており、昭和天皇やその他の政治界のお偉いさんや、財閥界のトップなど、我々庶民では乗ることの出来ない車両でした。やはりその様な歴史的背景がこのようにさせているのだと僕は思います。だって、座席がリクライニングしないグリーン車なんて今ではあり得ないですもの。さて、座席番号ですが、現在のように1Bなどではなく、2とか12とか数字のみでした。これも、当時の様子を表す大切な証拠だと思います。

〜100系新幹線登場(1985年・昭和60年)

博多開業後、やはり保守作業の不足を補うために、半日運休を昭和51年2月25日から57年1月までに延べ44回も行った。今回は、運休時に代行特急を東京〜新大阪間に走らせている。半日運休を行うと、やはり設備面での輸送障害が激減し、安定輸送が行われた。その甲斐もあり、昭和51年5月25日には、10億人「無事故輸送」を達成した。これは、新幹線がいかに安全で速い乗り物かを証明した。そして、7月1日に行われたダイヤ改正では、岡山止まりの「ひかり」を広島まで延長。(新大阪以西各駅停車)そして、いままで岡山以西各駅の「ひかり」博多行きは、広島以西を各駅とし、速達化を図った。しかし、東海道新幹線内では「こだま」の利用者が低迷していた。さらに、8月20日からは「こだま」の16号車を禁煙とした。これは、現在の禁煙主義の始まりとも言えることである。
 昭和54年6月7日よりいままでは、新幹線=青い転換クロスシートだったが、新設計のリクライニングシート(現在の200系に使用されている簡易リクライニングシート)を搭載した2両が運用に就いた。そして、このリクライニングシートは昭和58年までに全車取り替えられている。現在も西日本の一部の0系で見ることが出来る。
 昭和58年10月1日のダイヤ改正では、「ひかり」を1本増発、「こだま」を1本減らした。さらに、「こだま」の利用低下により、一日の運転本数を275本から255本と初の減量ダイヤとなった。いままでは、三原〜博多間にあった制限速度を解除し東京〜博多間を6時間40分で結んだ。さらに、「ひかり」の停車駅に関しては、朝夕に、新横浜・小田原を停車するのを新設・増発、名古屋発を岐阜羽島に停車されるなど東海道区間でも変化が見られ、この時点で「ひかり」が停車しない駅は、熱海・三島だけとなった。山陽新幹線の方は、36分を定期化し、岡山行きとし、12分の新大阪止まりが、博多行きとなり、このダイヤ改正では、新大阪止まりの「ひかり」は一時的にパターンの中から消えている。さらに、新大阪以西各駅停車の「ひかり」博多行きが登場し、山陽新幹線内は実質、「こだま」であるが。これは、姫路で一回、「ウエストひかり」を待避するのみで、7時間36分で走り抜けていた。
 そして、昭和60年10月1日。0系が走り初めて、21年。待望の新型新幹線100系が登場した。まずは、ダブルデッカーとその周りの1両ずつを抜いた12両編成で「こだま」として登場した。

2002年3月16日P.M12:00

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列車が停車中のみ展望部分に行くことが出来ます。ちなみに、展望口の入り口には警備員が立っていて、ちゃんと警備をしています。鉄道の決まり上、どうもマイテ49の展望部分は、柵の高さが足りないようです。走り出すと直ちに車内に強制的に戻されます・・・ちなみに糸崎駅で貨物列車に抜かされます。三原駅を出たところでもとの座席の所に帰されました。さらに、列車は広島に入るための峠である、所謂セノハチを越えます。昔は、このセノハチを越えるためには、列車の後ろに補機の機関車をつけなければなりませんでしたが、現在は一部の貨物を除きつけていせん。この臨時列車も補機をつけていません。しかし、この区間を走る旅客列車はすべて電車なので、今ではあまりその峠のすごさを感じることは出来ません・・・(寝台特急や臨時列車は別です。)ところが、この臨時列車ではすごく感じることが出来ます。なぜなら、スピードがかなり落ちているからです。このセノハチを越えるときは非常にスピードが落ちていました。なので、よく感じることが出来ました。カーブが続くので前で牽引しているEF58が見えました。そして、このセノハチを越えると広島の市街地に入ります。広島から宮島口までは30分程度ですが、この列車は45分ほどかけて走ります。宮島口に着くと、すぐに連絡船で宮島に連絡船で渡ります。

〜グランドひかり登場(1989・平成元年)

昭和61年11月1日にダイヤ改正が行われた。新幹線では開業後初のスピードアップが行われた。210q/hから220q/hまであげられた。それにより、東京〜新大阪間が2時間56分で結ばれた。さらに、100系4編成が東京〜博多間の「ひかり」に営業に就いた。さらに、広島〜博多、浜松始発のこだまを増発させた。これにより、東海道新幹線では「新幹線通勤」の始まりを感じさせるダイヤ改正となった。そして、昭和62年4月1日、国鉄が民営化された。なので、昭和61年11月1日のダイヤ改正が国鉄最後のダイヤ改正となった。民営化により、東海道新幹線区間が「JR東海」山陽新幹線区間が「JR西日本」となった。これは、将来的に大きな影響をもたらしてくる。民営化により、新幹線の利用促進を目的にまずは、「こだまイメージチェンジ」と「ウエストひかりリニューアル」を始めた。JR東海は「こだま」に使用している0系に4列シートを導入した。(左の写真)JR西日本は、「ウエストひかり」のリニューアルを行った。もともと東京〜博多間を走る「ひかり」のうち、新大阪〜博多間を最速で走る「ひかり」を「ウエストひかり」と呼んでいたが、今回から新大阪〜博多間のみを走る「ひかり」を「ウエストひかり」とし、0系のリニュアール車が充当された。最初は6両編成だったが、12両編成となり、「シネマカー」やビュフェなのが連結され、新幹線の中でも異端の存在であった。現在のレールスターに繋がる系統である。
昭和63年3月13日には、久しぶりに新幹線新駅が開業した。「新富士」「掛川」「三河安城」「新尾道」「東広島」の5駅である。4月には、「瀬戸大橋」の開業を控えていたので、岡山系統の「ひかり」が見直された。名古屋、京都、新大阪、新大阪から岡山まで各駅の岡山行き「ひかり」は、新大阪行きに。逆に、東京〜名古屋間2駅停車、京都停車の「ひかり」新大阪行きが岡山行きとなった。これは現在も続いている。そして、100系の主力の存在になるG編成。カフェテリア付きの100系が登場した。現在残っている100系のうち、東海道新幹線で活躍しているのは、この編成である。そして、JR西日本は100系のリニュアール車として、100系V編成。グランドひかりを投入した。魅力的なのは、編成の真ん中にある4両のダブルデッカーである。100系には2両のダブルデッカーが連結されていたが、それを4両とした。なので、グリーン車が1両増えた事になる。その変わり、個室は普通席に変更になっている。ダブルデッカーが4両もつながれている車両は子供に大人気であった。さらに、性能もアップしており、山陽新幹線区間は230q/hで走行した。このダイヤ改正では、新横浜、名古屋、京都停車の新大阪行き「ひかり」が一本増発され、現在のダイヤに叶い近づいた。この時期から0系は徐々に「ひかり」運用から外されていった。

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宮島口からJR航路で宮島に渡ります。JR航路は現在は宮島航路のみになりました。宮島に到着後、まずは昼食会場に連れて行かれました。一応、ツアーなので・・・昼食後は、帰りの船の時間まではフリー行動となりました。やはり、厳島神社に行きました。今回は干潮時だったので比較的水が少なかったです。2時間しかなかったので、あまり多くを見ることは出来ませんでした・・・やはりツアーだからです。前回、宮島に来たときは、夏で、大夕立に遭いました・・雷がフェリーターミナルの近くに落ちたため停電してしまったり、商店街でやったくじ引きで2等を当てて、一万円分の商店街商品券をもらって、いろいろなものを買っていった憶えがあります。