年譜
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0 |
7/2、南ドイツ、シュヴァーベン州ヴェルテンベルグの小都市カルプ(Calw)に牧師ヨハネス・ヘッセと妻マリーとの間に第二子として生まれる。 |
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4 |
両親と共にバーゼルに移る。父はここの伝道館の仕事に従う。 |
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9 |
一家カルプに戻る。 |
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13 |
神学校受験準備のため、ゲッピンゲンのラテン語学校に入学。 |
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14 |
神学者となるため、シュヴァーベンの国家試験を受けて合格。このためヴェルテンベルクの国籍をとり、秋、マウルブロン神学校入学。 |
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15 |
春、神学校を脱走、退学。シュテッテンの精神療法をする牧師ブルームハルトの所に預けられるが、自殺未遂。 |
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16 |
カンシュタット高校入学。一年足らずで退学。エスリンゲン書店員となったが3日でやめ、父の助手としてカルプ出版協会で働く。 |
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17 |
カルプのペロット工場の見習い工となり、塔の時計の歯車を磨く。 |
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18 |
秋に時計工場をやめて、テュービンゲンのヘッテンハウアー書店の見習い店員となり、ゲーテ、ついでドイツ・ローマン派文学をよみ、詩や散文を書き始める。 |
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22 |
最初の詩集『ローマン的な歌』ついで『真夜中過ぎの一時間』を出版。リルケに賞賛される。
秋、バーゼルのR-ライヒ書店の助手となり、販売及び古書部担当。 |
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24 |
バーゼルから最初のイタリア旅行に出る。 |
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25 |
『詩集』をカール・ブッセ監修の『新ドイツ抒情詩人』中の一冊として出版。
4/2母マリー死す。 |
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27 |
『郷愁』を出版。 9歳年上のマリーア・ベルヌリと結婚。ボーデン湖畔ガイエンホーフェンの農家に住む。 |
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28 |
長男ブルーノー誕生。 |
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29 |
『車輪の下』を刊行。 |
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32 |
二男ハイルナー誕生。 |
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33 |
音楽家小説『ゲルトルート』刊行。 |
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34 |
三男マルティン誕生。画家ハンス・シュツルツェンガーと共にインド旅行(シンガポール、南スマトラ、セイロン)をする。 |
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35 |
一家をあげてスイスのベルンに移住。 |
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37 |
第一次世界大戦が始まり、ヘッセはベルン領事館の兵役検査のため出頭したが、健康が兵役に不適当として免除される。ベルンの「ドイツ捕虜保護機関」のため献身的に奉仕、慰問新聞・図書の刊行、発送のため働く。しかし、極端な愛国主義者的言辞に反対する考えを発表、平和主義を唱え、『おお友よ、その調子にあらず』の後、さらに『再びドイツに』を発表をするやドイツ全土の新聞によって売国奴と罵られ、新聞雑誌からボイコットされる。ロマン・ロランから「ゲーテ的態度」と賞賛の手紙来る。 |
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38 |
『クヌルプ』刊行。 |
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39 |
父ヨハネ・ヘッセ死す。末子マルティンの重病、妻の精神病の悪化と入院。ヘッセも度重なる苦悩のため、ルツェルンの養寮所で精神科医ラングの治療を受ける。
『青春は美わし』刊行 |
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40 |
『デミアン』を数ヶ月で書き上げる。 |
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42 |
『デミアン』をシンクレーアという匿名で発表。 ルガノ郊外のモンタニョーラに一人住む。水彩画を描き始める。 |
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45 |
『シッダルータ』刊行。 |
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46 |
マリーア夫人と正式離婚。スイス国籍をとる。座骨神経痛とリューマチのため、チューリッヒに近いバーデン温泉で湯治。 |
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47 |
女流作家リーザ・ヴェンガーの娘ルート・ヴェンガーと結婚。 |
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48 |
南ドイツを朗読訪問し、その後ミュンヘンにトーマス・マンをたずねる。 |
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50 |
ルート・ヴェンガーと離婚。『荒野のおおかみ』刊行。 |
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53 |
『知と愛』刊行 |
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54 |
ニノン・アウスレンダーと結婚。ヘッセ夫妻はカサ・カムッチの家から、ハンス・C・ボードマーがヘッセ夫妻のために建てた新居に終生住む。 |
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58 |
『メルヒェン』刊行。 |
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60 |
『新詩集』刊行。 |
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62 |
ナチス政権下でドイツでのヘッセの作品はこの年から1945年まで「望ましからぬ文学」とみなされ、紙の配給を停止された。 |
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64 |
ヘッセの本がスイスで刊行され始める。 |
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65 |
これまでの全詩集を『詩集』としてスイス版で刊行。 |
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69 |
評論集『戦争と平和』刊行、ロマン・ロランに捧げる。 この年から、ヘッセの作品は、ドイツでもフィッシャー書店のあとをついだズールカンプ社から出ることになった。 |
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73 |
ヴィルヘルム・ラーベ賞をブラウンシュヴァイク市より贈られる。 |
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78 |
西ドイツ出版協会から「平和賞」を贈られる。 |
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79 |
ヘルマン・ヘッセ賞が西独カールスーエ市に設けられる。 |
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85 |
8/9、モンタニョーラの自宅に死す。数年来の出血性白血病による。近くの聖アボンディオ教会に葬られる。 |