詩人ヘッセ 

 幼いときから詩人になりたいと願っていたヘッセ。そんなヘッセの詩は、けっしてリルケのように技巧的ではないし、明るく楽しげな作品も少ない。けれど、その内に秘められた激しい思いは、文字を超え、時を超え、こちら側にやってくる・・・。そんな詩を読んでいると、小説家ヘッセではなく、詩人ヘッセと呼びたくなる。
 

願い

無言のうちに多くのことを語っている小さい手を
差しのべてくれる時、
わたしはいつかあなたにたずねました。
私を愛してくださるか、と。

私はあなたに、愛してください、とは望みません。
ただ、あなたがそばにいてくださることを知り、
あなたが時折り無言でそっと
手を差しのべてくださることを望ばかりです。  

Bitte
 

それを知っているか

にぎやかな歓楽の最中に、
うたげの折りに、楽しい広間で、
お前は時折り、急に口をつぐみ、
立ち去らずにはいられなくなるのをお前は知っているか。

そしてお前はふしどに眠りもやらず、
突然心臓の苦痛に襲われた人のように伏している。
歓楽もにぎやかな笑いも、煙のように飛散してしまう。
お前は泣く、とめどなく泣く --- それを知っているか。

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哲学

無意識的なものから意識的なものへ、
そこからもどって、多くの小道を通り、
私たちが無意識的に知っていたものへ、
そこから無慈悲に突き放されて、
疑いへ、哲学へと促され、
私たちは達する、
皮肉の第一段階へ。

それから熱心な観察によって、
多様な鋭い鏡によって、
世界軽蔑の冷たい深淵が
凍える精神錯乱の
むごい鉄の暴力の中に抱き取る。
しかしそれは賢明に私たちを連れ戻す。
認識の狭いすきまを通って
自己軽蔑の
甘にがい老年の幸福へ。  

Philosophie

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