イエメンはアラビアの伝統が今でも息づく異国情緒たっぷりの国です。多少治安に問題がある地域もありますが、その分ツーリストは少なく、素朴な人々の生活に出会えるところです。
伝統的なスタイルを守りながら手入れされてきた家が多く、今でも昔とあまり変わらない町並みがいたるところに残っています。見たこともない不思議な建物に囲まれて出口も分からず自分のいる時代さえも分からなくなるような町を歩きたければイエメンへ行ってみましょう。
イエメンの旅に関する情報はイエメンの情報ノートのページにもまとめてあるので参考にして下さい。
サナア
サナア旧市街は独特の高層住宅の立ち並ぶ「世界最古の摩天楼都市」と言われる古い歴史のある街です。石と日干しレンガで造られた家々の窓は白い漆喰にステンドグラスのような飾りが付けられていて、まるでお菓子の家のように見えます。
旧市街の入り口にある門バーバルヤマンをくぐるとスークと呼ばれる市場が続いています。ここでは食料品や香辛料、衣服、骨董品など様々な物が売られていていつもたくさんの人で賑わっています。
旧市街の道は複雑に入り組んでいるので、スークを覗きながらいくつか角を曲がるといつの間にか巨大迷路の中に迷い込んでしまいます。
旧市街に宿をとっているならホテルの屋上から旧市街のパノラマが見れますが、グレートモスク近くのナショナルアートセンター(入場無料)の屋上からも賑やかなスークと旧市街が一望できるので探して登ってみましょう。賑やかなスークから外れると時間が止まったようにひっそりとした古い住宅街があったり、子供達がサッカーやビー玉遊びをしている路地があったりします。
(00年7月)
ワディ・ダハール
ワディ・ダハールはサナアから15kmほど離れたところにある岩山に囲まれた緑の豊かな谷あいの町です。ここを訪れるなら金曜日がお薦めです。毎週金曜日になると谷を見渡せる崖の上にたくさんの人が集まって来てお祭り広場のようになります。ここに集まって来た人たちはいつもベルトに刺しているジャンビーアという短剣を使ってダンスを踊ったり谷の斜面に向かって銃を撃ったりして賑やかな週末を過ごします。イエメンでは結婚式は週末に行われることが多いらしく着飾った新郎を祝う姿も見かけます。
短剣や銃などというと物騒な感じもしますが、銃はともかくジャンビーアという短剣は昔の日本の刀のような特別な意味を持っているものでイエメンでは一人前の男をあらわす大切な物になっています。
谷の一角にある岩山の上にはイエメンを象徴する建物として有名なロックパレスが建っています。ロックパレスはイエメンを治めていたイマーム・ヤヒヤの夏の別荘として1930年代に建てられたものですが、現在は観光客にも公開されていて入場料200リアルで見学できるようになっています。建物の中はたくさんの部屋があって立体迷路のようになっています。ロックパレスを囲む岩山の上には見張りのために建てられた塔の跡も残っています。
(00年7月)
シバームとコーカバン
2つの町が岩山の上と下にあることで有名なのがシバームとコーカバンの町です。岩山と言っても山頂はスライスされたように平らな台地状になっているのでそこにコーカバンの町が広がっています。どちらの町も昔ながらのたたずまいを残したまま人々が普通に生活している場所です。町自体に独特なものがあるというよりは、やはりそれぞれのロケーションが見どころになっています。
山の下のシバームは人々で賑わうスークがあったりして活気はありますが、ちょっとゴミも多く散らかった感じの町です。
シバームの町から崖を見上げるとコーカバンの町が見えます。コーカバンの町までは崖を登っても行けますが、舗装された道路を車で行く事もできます。
山の上のコーカバンはほとんどが民家ですが、貯水池があったり眼下にシバームの町を見渡せる眺めのいい静かな町です。
(00年7月)
ハジャラ
イエメンには山の上に古い石のビルディングが立ち並ぶ町がいくつもありますが、ハジャラはその中でも際立って美しく迫力のある町です。町が山の上に建てられ、家がビルディングのように何階建てにもなっているのは外敵の侵略から身を守るためですが、ハジャラの町も敵の侵入を防ぐため入り口が一つしかない城塞都市となっています。かつてオスマン・トルコ軍がこの地に侵攻してきた時には近郊のマナハの町の人たちもここまで避難してきたと言われます。現在は静かな人々の生活の場となっていますが重厚な石のビルディングの間を歩いていると歴史の重みまでもが伝わってくるような気がします。
ハジャラへ行くには手前にあるマナハの町から未舗装の悪路になるため4WD車でなければ走るのが困難になります。5キロほどの道のりなのでガスがかかっていなければ歩いて行くのも悪くはありません。サナアから日帰りで行けますが、山の上の町なので天候も変わりやすく雲に覆われてしまうこともよくあるので1泊くらいしてゆっくり過ごしたいところです
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(00年7月)
サユーン
サユーンはワディ・ハドラマウト地方の空の玄関口となる街です。ワディ・ハドラマウトは乾燥した砂漠地方の巨大な渓谷です。とにかく暑いところですが町の中心にある昔の王宮は綺麗に白とパステルグリーンに塗り直されていてとても涼しげで美しく見えます。
王宮の中は博物館になっていて、いくつもある迷路のような部屋の中に昔の家具や武器、アクセサリーなどの民芸品が展示されています。ここからのサユーンの街の眺めもすばらしく、街の背後にせまる断崖や遠くに拡がるナツメヤシの林を見ることができます。
近郊のシバームやタリムの町への交通の便もよく観光の拠点になる街です
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(00年7月)
シバーム
「砂漠の摩天楼」と呼ばれるイエメンのもう一つの代表的な摩天楼都市です。サナアと比べると建物と建物の間隔が狭く窓も小さくて、見上げるようなビルディング群のように見えます。細長い建物が林立する姿は遠くから見ると近代的な都市を連想させますが、昼過ぎの町はみんな家の中で休んでいるので路地には人影もなく、出会うのは放し飼いにされている山羊とロバだけというのどかな町です。
町を見下ろす崖の上に登ると夕方にはオレンジ色に染まるとても美しい町の姿を見ることが出来ます。丘の中腹までならすぐに登れるのでそこから眺めるのがお薦めです。断崖の上までも登れなくはないのですが、かなり疲れるし危険です。
サユーンからシバームへは乗り合いタクシーやバスで行くことが出来ます。帰りのタクシーもシバームの町の門の前で拾うことが出来ますが、夕方遅くなると乗り合いタクシーもバスもほとんどなくなってしまうので貸し切りのタクシーで帰らなければなくなることもあります。
夕日に染まる町を見に来るツアー客などを見守るためにポリスが待機していましたが日没後は治安も良くないので注意しましょう。また、シバームから先のムッカラへ抜けるルートやマーリブ、サナアへ抜けるルートも治安は良くないらしく、外国人旅行者をターゲットにした誘拐事件も起きているので空路で移動した方がいいかも知れません。
(00年7月)
タリム
サユーンの東35kmほどのところにあるモスクとミナレット(尖塔)の多い町です。
町中のモスクをいくつ見つけられるか探して歩くのも楽しいのですが、日中はとても暑くて散歩どころではないので正午に出歩くのはやめましょう。
サユーンからタリムまでは乗り合いタクシーで120リアルくらいです。
(00年7月)
アムラン
この町の旧市街はサナアのような派手な漆喰飾りの家はありませんが、家々の壁は泥でコーティングされて平らになっていてそこに小さな窓があるのでかわいい粘土細工で作ったおもちゃの家のように見えます。
町の周りはゴミが散らかっていてちょっと汚いのが残念ですが独特の趣があります。
サナアからアムラン、コフラン経由でハッジャへ向かうルートは状況によっては立ち入りが許可されなかったり、パトカーの護衛が付いて外国人ツーリストの乗る車はまとまって移動しなければならないことがあるので注意しましょう。
(00年7月)
コフラン
アムランからハッジャへ向かう道の途中にある小さな山岳都市です。この町は山頂にある古城を頂点にして山の斜面に合わせて階段状に家々が建ち並んでいます。更に拡がる眼下には段々畑が延々と続いていてます。
イエメンでは段々畑のことをムダラジャートといいますが、山岳地方を旅するとこのムダラジャートが一面に拡がる景色をあちこちで目にします。
(00年7月)
ハッジャ
サナアからいくつもの峠を越えたところにある山の上に開けた町です。山頂に残る古城からはハッジャの町と周りを取り囲む山々を360度のパノラマで眺めることができます。古城の扉は鍵がかかっていることもありますが、昼間ならノックすると係の人が出てきて案内してくれます。
ここまで来るあいだの峠道は舗装されていますが、断崖ぎりぎりの道でも崖崩れを防ぐような補強工事はほとんどされていないので雨期には道路が寸断されることもあります。迫力のある景色のいい道ですが落石などにも注意が必要です。
(00年7月)
マーリブ
砂漠地帯にあるマーリブにはかつてアラビア半島南部を支配し貿易で繁栄したシバ王国の遺跡が残っています。ダムの跡や神殿、廃墟になった街などが点在していますが、遺跡の規模はそれほど大きくはないので1日あればサナアから日帰りで来ても見て廻ることが出来ます。
ただ、現在見学できる遺跡にしても十分な発掘調査がなされていないようなので実際には砂に埋もれてしまったままの遺跡が他にも眠っているのかも知れません。
サナアからマーリブへのルートも度々誘拐事件が起きているので、観光客の車はサナアの郊外からまとまって機関砲を積んだ車の護衛が付いて移動することになります。岩山の峡谷や溶岩大地を抜けて砂漠地帯を走る変化に富んだ道のりです。
(00年7月)
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