霊的能力を携えた巫女

櫛名田比売命

稲田の女神 櫛名田比売命

1 天照大御神
 「アマテラスオオミカミ」は、古事記では「天照大御神」、日本書紀では「天照大神」と記される。
 古事記によれば、天照大御神は、「伊邪那岐命」(いざなぎのみこと)が黄泉国(よみのくに)から逃げ帰り、筑紫(つくし)の日向(ひむか)の橘(たちばな)の小門(おど)の阿波岐原(あわきはら)において禊(みそぎ)をし、左目を洗ったときに成り出でたとある。
 伊邪那岐命から高天原の統治を委任された天照大御神は、「須佐之男命」(すさのおのみこと)の天上訪問をいぶかり誓約(うけい)を行い、3女神と5男神を生み合うが、勝者燃とした須佐之男命の乱行に怒って天岩屋に籠もると、高天原と葦原中国(あしはらのなかつくに)は暗闇となり、あらゆる禍が発生し混乱に陥った。八百万の神々は協力し合って祭祀を行い、天照大御神を天岩屋から引き出すと、高天原も葦原中国も明るくなり、秩序は回復した。
 また、天照大御神は、御子の「天之忍穂耳命」(あめのおしほみみのみこと)を降臨させるべく豊葦原(とよあしはら)の千秋長五百秋(ちあきながいほあき)の水穂国(みずほのくに)の平定を命じ、平定後は改めて天之忍穂耳命の子「日子番能邇邇芸命」(ひこほのににぎのみこと)に統治を委任し、自身の御魂代(みたましろ)として八咫鏡(やたのかがみ)を祀るように命じて降臨させた。
 その後、「神倭伊波礼毘古命」(かんやまといわれひこのみこと)の東征にあたっては、熊野村において一振りの横刀(たち)を下して危機を救い、白檮原宮(かしはらのみや)での即位にいたらしめた。天照大御神の導きのもとに「倭建命」(やまとたけるのみこと)は西国と東国の平定に向かい、更に「神功皇后」(じんぐうこうごう)の新羅親征のときには、天照大御神と筒之男(つつのお)三神が男子の出産を予言して守護し勝利に導いた。
 一方、日本書紀には異伝も多く、神代上第五段の第六の一書(あるふみ)では古事記と同様に左目を洗ったときに生まれたとされるが、本文では「伊弉諾尊」(いざなぎのみこと)と「伊弉冉尊」(いざなみのみこと)が協議して、天下(あめのした)の主者(きみたるもの)として「日の神」を生んだ。「大日霎貴」(おおひるめむち)と言い、一書に天照大神、また別の一書には「天照大日霎尊」(あまてらすおおひるめのみこと)、この子は光麗しく国中に輝きわたったとある。
 また、第一の一書では、伊弉諾尊が天下を治める尊い御子を生もうと思うと言って、左の手に白銅鏡(ますみのかがみ)を持ったときに成り出づる神があった。これを大日霎尊と言うとある。そのほか、日本書紀には、天照大神が稲や粟などを人々の食物と教え定め、養蚕を始めたとされている。
 以上のように、天照大御神は、古事記では秩序の根幹神であり、皇祖神として、天皇による天下の統治の正当性と、その版図の拡大を保証する神として、また日本書紀では人間の衣食の根幹神として描かれている。
 古代人にとって、日神崇拝は何よりも農耕と結びつき、太陽の推移により、彼らは季節や一年の循環を知り、農事の節目を測ったと思われる。太陽は、光と熱により万物を育む無限の力を有しており、必ず崇拝されなければならない重要な自然神だったのである。
 さて、古事記、日本書紀に登場する天照大御神、又は、天照大神は、一般的には「女神」とされ、「日神」そのものと考えられているが、女神なのか、男神なのか、はたまた日神そのものなのか、日神に仕える巫女なのか解釈が分かれているところである。日本書紀本文では「大日霎貴」と記されており、この大日霎貴の「霎」の字は「霊的能力を持った女=巫女」の意味であり、「ヒルメ」については「日の妻=太陽(男神)に仕える巫女」とする説や「日女=太陽の女神(太陽を女性とみた命名で、巫女たる太陽の意)」とする説がある。

2 天宇受売命
 「アメノウズメノミコト」は、古事記では「天宇受売命」、日本書紀及び古語拾遺では「天鈿女命」と記される。
 古事記によれば、天照大御神が天岩屋戸に籠もったとき、天宇受売命は、天香具山の日陰蔓(ひかげのかずら)を襷(たすき)にかけ、真拆葛(まさきのかずら)を髪に纏い、天香具山の笹の葉を束ねて手に持ち、天岩屋戸の前に桶を伏せてこれを踏み鳴らし、神懸かりして、胸乳をかき出し裳の紐を陰部まで押し下げ歌舞をし、神々の笑いを誘った。
 また、天孫降臨に際しては、天照大御神、高木神から、あなたはか弱い女であるが、向き合った神に対して気おくれせず圧倒できる神であるからと言われて、天八衢(あめのやちまた)にいる神(猿田比古神)に名を問う役を命ぜられ、更に、天児屋命(あめのこやねのみこと)・布刀玉命(ふとだまのみこと)らとともに、合わせて5つの部族の首長を加えて天下りし、天鈿女命は「猿女君」(さるめのきみ)らの祖神であるとある。
 一方、日本書紀では、天照大神の天岩窟隠れに際しては、古事記に記される「胸乳をかき出し裳の紐を陰部まで押し下げ」の部分は見られず、歌舞をしたとある。
 また、神代下第九段の第一の一書では、猿女の上祖(とつおや)として天鈿女命が五部(いつとも)の神として登場し、天孫降臨の場面では、天鈿女命は目人(めひと)に勝ちたる者(かみ)との理由から猿田彦大神に対峙して、胸乳を露(あら)わにかきいでて、裳帯(もひも)を臍(ほぞ)の下(しも)に抑(おした)れてあざ笑いて向き立ったとあり、古事記の天岩屋戸の段の所作に似ている。
 更に、古語拾遺では、天鈿女命は強(こわ)く悍(あら)く固(かた)しとあり、天孫降臨の場面は、ほぼ日本書紀と同様の内容で、加えて猿女君が遠祖(とおつおや)とされている。また、神武天皇の条(くだり)では猿女君氏、神楽の事を供(つか)へまつるとある。
 古事記の天岩屋戸神話や日本書紀の天岩窟隠れ神話における天宇受売命、又は、天鈿女命の姿は、天照大御神を太陽と見立てて、太陽の活力の復活を願い、冬至の日における太陽再生儀式に携わる猿女君の姿の投影ともいわれ、この神話は、祭祀の儀礼の起源を語るものされている。また古事記、日本書紀に見られる「笑う」は、単純な笑いではなく、悪魔を退散させるなどの呪術的所作であるとされる。天鈿女命は、日本書紀では「気後れしない神」、また古語拾遺では「睨み勝つ神」として描かれており、特異、特別な顔面を持つ神と思われるが、一般的には、宮中に奉仕し、主として「神楽」のことに携わった女性で、神楽や芸能の神とされている。なお、天宇受売命の「宇受売」は、「かんざし」の意味で、髪飾りをして神祀りを行う女神、更には神懸った女性の神格化とする説がある。

3 櫛名田比売命
 「クシナダヒメ」は、古事記では「櫛名田比売」、日本書紀では「奇稲田姫」と記される。
 古事記によれば、須佐之男命(すさのおのみこと)が、高天原から出雲国の肥の河上の鳥髪(とりがみ)に天下ったとき、河上から箸が流れて下ってくるのを見て、訪ね上っていくと、童女(おとめ)を中に置いて泣いている老夫婦に出会った。そこで、須佐之男命が、名前と泣いている訳を尋ねると、老夫婦が答えるには、私は国つ神・大山津見神(おおやまつみのかみ)の子で、名前は「足名稚」(あしなづち)、妻の名前は「手名稚」(てなづち)、女(むすめ)の名は櫛名田比売と言い、私の女は本(もと)は八稚女(やをとめ)いたが、高志(こし)の「八俣遠呂智」(やまたのおろち)が、年ごとに来て食らい、今、その遠呂智がやって来る時期となったので泣いていると答える。
 須佐之男命は、遠呂智の形状を問い、計略をこらして退治することを思い立ち、櫛名田比売命を妻にもらうと、たちまち櫛に姿を変えて髪に挿し、足名稚、手名稚に命じて濃い酒を醸造させ、また垣を廻らし、その垣に八つの門を作り、門ごとに八つの桟敷を作り、その桟敷ごとに酒桶を置き、桶ごとにその濃い酒を満たして遠呂智を待ち受けた。すると遠呂智が現れ、酒桶ごとに頭を垂れ入れ、酒を飲み酔って寝てしまった。須佐之男命は「十拳剣」(とつかのつるぎ)で遠呂智をずたずたに斬り殺し、尾から出てきた太刀を天照大御神のもとに献上した。八俣遠呂智を退治した須佐之男命は、櫛名田比売とともに新居の宮を造営すべき土地を出雲国に探し、須賀の地において新居の宮を造営した。その後、櫛名田比売は「八島士奴美神」(やしまじぬみのかみ)を生み、この6世孫に「大国主神」(おおくにぬしのかみ)が生まれたとある。
 一方、日本書紀本文は、古事記と同様の内容を記すが、大己貴神(おほあなむちのかみ)は素戔鳴尊の子と記し、また神代上第八段の第一の一書では、八岐大蛇退治の神話を欠き、更に、同第二の一書では、素戔鳴尊は、安芸国(あきのくに)の可愛(え)の川上に下るなど、異伝も多く見られる。
   櫛名田の神名については、「櫛髻説」(くしいなだきせつ)、「串蛇説」(くしなだせつ)、「奇稲田説」(くしいなだせつ)があるが、日本書紀の表現のとおり奇稲田説が主流で、「霊妙不思議な稲田の姫神」の意味とみられている。「稲田」には地名説もあるが、普通名詞とみるのが穏当で、稲田の守護神であると同時に、巫女的性格も指摘されている。