第一段の所作
第一段の所作
第三段の所作
第三段の所作

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神楽が宗教的な役割から離れて、演劇性や芸術性に重点が指向さるようになって久しい。これもやむを得ない時代の変遷によるものであろうか。神楽は、本来、その発祥からして現代の演劇や歌謡とは大凡その本質を異にする神事芸能なのである。 神楽は、舞殿をはじめとして個々の曲目や舞法の細かな所作に至るまで、それぞれ演劇性や芸術性だけでは割り切れない重要な意味が存在した筈である。それらは、豊穣の祈願であったり、災禍や罪穢れの祓いであったり、また悪魔祓いや雨乞いの祈願などであったりもしたと思われる。しかし、現在の神楽はそれらの形だけが継承され、それらの持つ重要な意味は、いつしか長い年月の間に忘れられ去られているのが殆どである。 神楽舞「四神」に、古代中国の陰陽五行思想の原理が取り入れられていることは、別頁「四神」で考察したところであるが、この頁では、神楽舞「四神」の第三段の「踏」という所作と陰陽道の「反閇(へんばい)」との関係について考察することにする。 |
「反閇(へんばい)」という聞き慣れない言葉は、陰陽道で用いられる呪術的歩行のことで、道教にその淵源を発しているとされる。道教では「兎歩(うほ)」という北斗七星の形や八卦の意味を込めた歩行法があり、これによって、安全の保障などを得ることができるとされている。この兎歩が陰陽道に取り入れられて反閇と呼ばれ、地霊や邪気を祓い鎮め、その場の気を整えて清浄にする目的で行われるとされる。狭義には、秘術を唱えながら、独特な足捌きで力強く足踏みをし、これによって悪星を踏み破って吉意を呼び込むというもので、陰陽道独特の星辰信仰の上に立脚した呪術的歩行とされる。反閇は、神楽や能楽などに取り入れられて、相撲で踏まれる「四股」もその延長線上にあるとされ、その歩行法はそれぞれ多様に展開している。 別図1は、神楽舞「四神」の第三段の「踏」という所作の足捌きを、簡単に図示したものであるが、別図2の北斗七星の配置と比較して見ると、その足捌きは、まさしく反閇の原点である北斗七星の形を踏んでいることが良く判る。神楽舞「四神」は、古代中国の「陰陽五行思想」の原理が取り入れられており、一年の推移を自然に任せて放置することなく、人間の側でも陰陽五行思想の法則を使い、天象や四季の順調な推移を促すことによって、天地の安寧や穀物の豊穣などを祈願する呪術的儀式舞と思われる。反閇もまたこれらとほぼ同様な意味から取り入れらたものと推察され、先人達の目的達成への特別な執着と堅い決意を感じざるを得ない。 反閇の足捌きは、神楽舞「恵比須」の所作の一部にも取り入れられている。また、苅屋形神楽団の神楽舞「塵輪」などの鬼舞において、到底通常の人間の歩行とは思えない異常ともとれる独特の足捌きも、やはりその背景は反閇に源流を発する所作と推察されるが、これについては異論も考えられるところで、以下で記述する反閇という奇妙な歩行法の由来から想像していただきたい。 反閇という歩行法の元となった兎歩の起源は明らかではないが、その歩行が足の不自由な者の跛行(足を引きずる歩き方)に似ていることから、古代中国の伝説上の聖王・兎王の跛行の姿を、兎王の巫術を受け継いだ後代の巫覡(神に仕えて人の吉凶を予言する者)が模倣したのがその起源であると、「荀子」(中国戦国時代の思想書、全二十巻、荀子著、成立年代未詳)などにあるとされる。 伝説によると、兎王は、中国最初の世襲王朝「夏」の創始者で、功ならずして死に至った父・鯀の後を次いで治水事業に全力を傾注し、山河を巡りながら遂に全土を治めることに成功した。寝食を忘れて治水事業に奔走した兎王は、やがて過労によって下半身が不自由となり、足を引きずるような独特な歩き方をするようになってしまった。一説には、兎王の巡った名山は5370山、その行程は64056里にも及んだとされる。 兎歩は、巫覡によって模倣されて呪術的所作へと発展し、道教の祭祀に用いられる呪術法となり、その後、反閇として陰陽道に取り入れられた。理由は明らかではないが、一般的に、道教の兎歩が、鬼神を召し出して使役するための歩行法であるのに対して、陰陽道の反閇は、地霊や邪気を祓い鎮めるための歩行法で、その考え方に相違が見られるが、いずれも、最終的に期待される目標に大きな相違はないと思料される。 兎歩は、一般的には足を三回運んで一歩とし、合計九回の足捌きとなる。これを道教では「三歩九跡法」と呼称する。なぜ九跡を踏むかというと、北斗七星の数を踏む(踏斗)ためと、道教では説明している。北斗七星そのものは七星だが、道教や陰陽道では、弼星(ひつせい)と輔星(ほせい)という二つの星を加えて九星とするとされ、道教を受容した陰陽道では、この三歩九跡を「九星反閇」と呼称する。 兎歩には、前述した「三歩九跡法」のほか、「十二跡兎歩法」「三五跡兎歩法」「天地交泰兎歩法」「交乾兎歩法」「踏先天八卦訣歩 法」「踏七星法訣歩 法」「後天八卦歩 法」「太乙反卦歩 法」など様々な法があり、用途に応じて使い分けられるとされる。どれも共通していることは、三・七・九などの天空の北斗七星や日月の運行、易の八卦などと関わり深い歩順で行われることなどである。なお、「歩 」(ほこう)とは兎歩と同義語で、「 」(こう)は「天 」(てんこう)という北斗七星の異名のこととされる。反閇が成立したのは、安倍晴明が活躍した十世紀後半で、以後様々な陰陽道祭祀に取り込まれたとされ、確実に反閇が行われた陰陽道祭には、玄宮北極祭、三公五帝祭、呪詛返却祭、荒神祓、六道霊気祭があるとされる。また、反閇は、天皇や皇族らが自分の本来の居住場所(大内、内裏)から出て、別の殿舎や寺社などに行く場合にも、陰陽師よって奉仕されたとされる。 安倍晴明自身が反閇を行ったとされる記録も残されているとされ、例えば長徳3年には、母の病気を見舞う一条天皇のためにこれを行い、寛弘2年には、大原野社に参詣する中宮の彰子のために反閇を行っているとされる。 以上が反閇の由来など概要であるが、いずれにしても反閇は、災厄や疫病などを排除して、生活の安寧を希求するために執り行われたものと推察される 。 なお、余談であるが、神楽舞「四神」が別名で「剣舞」と呼称される理由として、「反閇」(へんばい)が訛って「剣舞」(けんまい)となったとする説が存在するが、真意のほどは判然としない。 |
