イスラエル・フィル管弦楽団 98年日本公演

巨匠マゼールと世界のオーケストラシリーズ98 IN JAPAN
日  時
1998年10月19日(月)午後7:00開演

場  所
フェスティバルホール

演  奏
イスラエル・フィル管弦楽団

指  揮
ロリン・マゼール

曲  目
1.マーラー…交響曲第4番ト長調
2.マーラー…交響曲第1番ニ長調

座  席
1階A列L22番(B席)


演奏会感想

§はじめに§(今回は全編ヘビーです)

 マゼールのマーラー2連発! しかし1番と4番どっちを先にするんだろう? 番号順なら1番が先、演奏効果を考慮したら4番が先、まあ順当に考えたら4番が先か。でも1番を先にしたら4番に絶対の自信があることの現れだし、もしそうだったらすげえよな。

 今回も例によって適当なことを言って5時きっかりに現場を出る。岡場駅前ダイエーの駐車場に車を置いて神鉄に乗って三田へ。三田からJRに乗って大阪へ向かった。西梅田から地下鉄に乗って肥後橋で降り4番出口から出るとすぐ上がフェスティバルホールだった。6時45分。1500円のプログラムを買って中へ。

 やっぱり築40年だとシンフォニーホールと比べてぼろい。照明も全体的に暗い。しかし床に敷かれた赤い絨毯が印象的だ。さて私の席は一番前の左から2番目……げっ、膝が舞台に思いっ切り当たる。ステージの高さも目の高さとほとんど変わらない。しかも舞台の裾が広いからここからだと第1ヴァイオリンのケツとパーカッションの人しか見えない……。なんつー席じゃ。これで13000円の席かいな。なんともはや。

 後ろを振り向くとガラガラ。6割強ぐらい。特に私の座った左側(L22,L23)は自分の後ろ20席くらい空席。一階、二階とも後ろの方はすかすか。

 ブーブー言いながら席に座り、プログラムをペラペラめくる。曲目は1番の方を先に書いてある。おお、チャレンジャーだ。ちょっとはマゼールのこと見直したぞ。

 7時8分頃に開演のアナウンス。楽団員の人がステージに。さわさわと拍手が起こる。ひとりものすごく豊かな体躯の女性ヴァイオリニストが入ってくると客席から笑い声が起こった。すげー失礼。本人もムッとした顔となった。今日の客は下司(女含む)が多いようだ。

 弦の数を数えて見ると(これは休憩時間にやったことだが)6,5,5,5,4プルト。並びは時計回りに左から第1Vn,第2Vn,Vc,Va,チェロの後ろにDbだった。フル編成のオケを生で聞くのは今回が初めてとなる。

 ここで断って置くが、今日は演奏イスラエルフィル、指揮ロリン・マゼール、名前は世界一流のものだ。という訳で演奏会批評も感性全開でやらせてもらう。大体前回の大阪シンフォニカーと今回のイスラエルフィルが同じ土俵の批評のやり方で成り立つはずがない。

 さてマゼールが登場して来て大きな拍手が起こった。指揮台の上で客席に一礼するとくるりとオケの方を向いた。会場を静寂が満たすと、マゼールがタクトを静かに降ろした……。

  1. マーラー…交響曲第4番ト長調

     シャン! シャン! シャン! シャン! ……鈴の音がフルートと共に鳴り響く。なんだ4番かよ。プログラムにきちんと書いておけよな。最初の鈴が鳴るまで分かんなかったぞ、私は。

     第1楽章。第1主題を弦が出し、木管がポッポッポッポッと刻む中、第1主題を確保するとき不自然にフレージングが切られた。そこは滑らかに繋げなければならない所だったと思うのだが。ちょっと手元に楽譜がないのではっきり言えないがこんな指示が譜面にあるのか? 同じフレーズが帰ってきた時も同様の処理をするならまあ理解はする(納得はしない)が、この不自然なフレーズの断絶が最初だけというのは理解に苦しむ。これと同じ現象が第3楽章と1番の第3楽章のそれぞれ冒頭に近いところで見受けられた。

     ppを丁寧に歌わせる。弦セッションの音色の良さがすばらしい。ただ弱音に気を配り過ぎか展開部終わりでの打楽器が大きく鳴り響く所でオケ全体の音量が不足していたため打楽器が浮いてしまった。その後の第1主題再現もVnにもう少し思い入れを込めて欲しかった。

     あとクラリネットの3番か4番(バスクラと持ち替えのパート)の音がでかすぎ。一人で木管のバランスを破壊していた。座った場所のせいか? でも後半の1番でも同じ印象だった。

     自然の中で戯れる無垢なる少年の心と大自然、と言った風景とは無縁のやけに乾いた光景。

     第2楽章。大自然の一部である死神と少年は出会う。彼も他の自然と同様に少年と楽しく戯れる。愉快な音楽に潜む一瞬のアイロニー。

     木管が尻上がりのフレーズを吹きそれを弦が繰り返す所、そのフレーズを弦が木管と同じように尻上がりに演奏しない。こんなの基本中の基本だ。なぜやらない?

     第1トリオでのオーボエが絶品、今日の演奏会はオーボエのトップの人が良かったからなんとか堪えられた。あとフルートのトップも良かった。第1トリオでのそのオーボエソロ、うっとりと聞いてしまう。しかしその他は取り立てて言うところのないヤマナシ音楽。マゼールよ、この曲を古典的と解釈するならトリオに入るときなど曲想の転換をはっきり出さなくてはならないぜ。

     敢えて言うならスケルツォ最後、木管がギョッとする不気味さを覗かせるところか? ここは2曲合わせて今日の最大の収穫だった。しかしやるならもっと際だたせて欲しかった。でもそれをすると全曲の解釈を変更しなくてはならないから無理か。

     第3楽章。全曲の頂点。死神に魅入られた少年の魂は風船のようにゆっくりと天に向かって昇っていく。少年の両親がどんなに嘆き悲しもうと彼には関係ない。彼は自分が行こうとしている新しい世界に胸をときめかしているのだ。少年は死というものを分かっていない。いや、死は生と同じで生きものにとって自然なものなのだ、我々がそれを忘れているだけだ。少年があまりにも純粋であるがため地表に残された人々の涙を誘う。

     チェロの歌い回しが心に滲みた。でも音が小さい。弦が全体的に音が小さい。しかし第1主題の第1展開部で木管のメロディーを弦がでかい音でかき消してしまった所があり、解釈に一貫性がない。また弦のロングトーンに祈るような繊細さが欲しかった、あれでは唯の長く伸ばした音だ。第1主題第2展開部最後でVnがキューッとポルタメントしてからの盛り上がりは全くメリハリがなかった。ここからは「さあ、天国についたよ。みなさんさようならー」と天国の門の中に消えていく所の音楽だと思うのだが……。

     第4楽章。「追伸」にあたる。神様のもとで天使になった少年が地表に降りてきて天国の様子を歌う。天国の素晴らしさを我々に教えてくれて再び天使は天へと帰っていく……。交響曲第4番はこんな曲だと思う。けっして5,6,7番等の標題性を排したものでなく、2,3番に続く物語を内包する音楽だと思う。

     ソプラノが入ってきて終楽章が始まった。歌の入りにマゼールが大きなリタルダントを取ったため歌手が混乱してテンポがずれた。このあとマゼールはインテンポを守り、歌の出だしで歌手の方を向いていた。(まるで「さん、はいっ」って言ってるみたいだ)その後もオケとソプラノのテンポが合わず、声も全然出ていなかった。天使の報告とは余りにもかけ離れている。確かにこの歌はハイトーンで息の長い旋律が続く難しい曲だが、出来なくてどうする。譜面を見ながら歌っていたがこんなに短い歌くらい暗譜でやれよ。明らかに練習不足。

     また、鈴の音が濁った音で聞き苦しかった。1楽章の最初はティンパニーの人がやっていたがこの時は澄んできれいな音だった。

     最後、ハープとコントラバスが消えると長い沈黙。絶対バカがフライングして全てをぶち壊すと思っていたが、それはなかった。感心感心。

     そして大きな拍手。「ブラボー」も掛かっていた。ブラボー? ちゃんちゃらおかしくて、とっととロビーに出た。

  2. マーラー…交響曲第1番ニ長調

     後半が始まる前にサンドウィッチを腹に入れ、ホール1階後ろの空いた席に勝手に座った。あんな窮屈な席は嫌だ。安い席に移るんだからいいでしょ。さっきの席では音が右方向の頭上を通り過ぎる感じだったが、この席は2階の庇(?)が邪魔をして全然音が響かなかった。オケ全体が見えるだけマシか。シンフォニーホールはどの席でも音が良いが、フェスティバルホールはケチったら絶対ダメですね。

     さっきまで自分が座っていた最前列を見ると中央を除きごっそり人がいなくなっていた。みんな私と同じようにどこかの席に散らばったに違いない。それにしても今日の客はマナーが悪い。最後列でポショポショしゃべる女二人連れ、携帯を鳴らすやつ、何があったか知らないが演奏中通路を突っ走るおばはん、なんとかならんかね?

     さて、第1番は第4番と違って物語はない。(最初はあったんだけど、後でマーラーが排除したスコアに書き直した)しかし終楽章にその名残があるため、構成の脆弱な曲と言われる。まあそれがこの曲の魅力の一つなんだけどね。

     第1楽章。序奏部の木管が「カッコー」を畳みかけるように吹く所に乱れが生じる。私はこの序奏部から主題提示部を「朝靄に煙る森の中、鳥達が目を覚ます頃朝日が昇り、靄がすーっと晴れると共に目の前に森の光景が開ける」情景を想像するのだが、唯弦のフラジオットが止めばチェロが第1主題を出すだけの音楽だった。また主題提示部最後の下降する旋律を繰り返しながらデクレッシェンドする所も、「鳥がふわっと着陸する」ようなイメージがあるが直線的な何のデリカシーもない唯のデクレッシェンド。ちなみに提示部繰り返し無し。

     第2楽章。音のアタックが弱い。特に弦。4番の1楽章では木管のアタックがうるさい程だったのに。スケルツォを繰り返して展開部に入った所で木管の音が濁った。誰かミスしたのか? トリオへの入りもインパクトの薄い曲想転換。で、楽章終わりで急にfffになって終わる。

     第3楽章。コントラバスのソロ、難しい所を突破して「やった」と思った瞬間音を外す、無念。この楽章はカノンになっているのだがそんな風には聞こえなかった。旋律線にメリハリがないので各声部が溶けてしまって癒着しているのだ。

     この楽章で、2回続けてアンサンブルが乱れ音楽が破綻するか? と思った瞬間、マゼールはVnのみが音を出す部分の直前に大きな間を取ってオケの崩壊を救った。あれは見事、名人の技の片鱗を見た。

     終楽章。この楽章は3部形式だが、展開部に相当する第2部ラストのファンファーレ、この直前いやらしい位の大きな間を作った。こんなの嫌だ。なんだか場当たり的な印象を受けた。そして再現部とコーダに相当する第3部、ここの最初に第1楽章の序奏部が再現されるが、この部分は「自分の最も楽しかった時間を夢の中で思い出す」ようなフィルターがかかった幻想性が欲しい。

     さてクライマックス。ホルン8人が起立してコラールを斉奏。しかしなんでここで極端にテンポを落とす? またホルンが音を鳴らし切っていなくて朗々とした気分にならない。それにコーダはじりじりとテンションを上げていって最後に爆発しなくちゃいけないのに、急にトップギアに入った感じがする帳尻合わせの大団円だった。

     この曲は最後にデカイ音さえ出せば、どんな演奏でもバカが「ブラボーッ」って言う曲だ。私はアホくさくなって速攻で帰った。

§さいごに§

 なんか今回の批評、全然エンターテイメントしてませんね、ゴメン。けど許せなかったの。次の大フィルポートピア公演は楽しく書くから、約束する。

 私はよく分からないが関西空港からイスラエルに直通便が出てるのだろうか? もし出ていないのならエジブトとかインドとかで乗り換えて来るのだから飛行機に乗ってる時間だけで20時間位になるのではないだろうか。

 ユダヤ教の安息日である金曜(でしたよね?)は家でゆっくりしてるだろうから、土曜の朝に国を出て日本に着くのは日曜の昼頃か?

 すると時差ボケの頭抱えて月曜の昼にゲネプロやって大阪で本番、その夜は大阪に泊まって楽器だけをトラックに乗せて夜中の名神・東名高速を走らせる。楽団員は朝、新幹線に乗って東京へ。昼に東京芸術劇場でゲネプロやって本番。次の日はやっと朝ゆっくりして昼練習、夜本番。それで次の日成田から帰国。……想像しただけで怖ろしい。

 実際がこれと同じかどうかは分かりませんが、過酷なスケジュールなのだということは想像に難くない。そんな状態で良い演奏が出来るはずがない。大阪は良い練習台にされてしまった。それを見抜けなかった自分が憎い。ひょっとしたら最終日のマーラーの5番はましかも知れないが、それも余り期待できない。

 総じて、向こうの時差ボケにこっちも付き合わされた演奏会でした。

 私がこのチケットを取った理由は、ここだけの話、マゼールとベルディーニを勘違いした、ということだったのは君と僕との内緒だ。

 9時40分、フェスティバルホールを出て、足早に大阪駅に向かう道すがら、口笛で4番の終楽章を吹いてみた。俺の方が上手いと思った。



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