BACK_HOMEトップのページ   BACK世界史のページ   年表1年表1に戻る   前へ戻る前へ戻る

エジプトはナイルの賜物


 ギリシアの歴史家ヘロドトスの著した「歴史」に、次の記述がある。
 「ヘロドトス 歴史(上)」松平千秋訳、岩波文庫から引用。


(メンピスでへパイストスの祭司たちから聞いた物語の一部。164〜165ページ。)

『四 さて人間界のことに限っていえば、彼らの一致していうところは、一年という単位を発明したのはエジプト人であり、一年を季節によって十二の部分にわけたのもエジプト人が史上最初の民族である、ということである。彼らはそれを星の観察によって発見したのだといっていた。暦の計算の仕方はエジプト人の方がギリシア人よりも合理的であるように私には考えられる。なぜかというと、ギリシア人は季節との関連を考慮して、隔年に閏月を一ヵ月挿入するが、エジプトでは三十日の月を十二カ月数え、さらに一年について五日をその定数のほかに加えることによって、季節の循環が暦と一致して運行する仕組になっているからである。
 また彼らの言い分では、十二神の呼称を定めたのもエジプト人が最初で、ギリシア人はエジプト人からそれを学んだのであるといい、さらに神々の祭壇や神像や神殿を建てることも、また石に模様を刻むことも、エジプト人の創始によるものであるという。そしてこれらの事柄について、祭司たちは大抵の場合、実例を示してその真実であることを証明してみせたのである。
 また彼らの語るところでは、エジプト初代の人間王はミンであったという。この王の時代には、デバイ州を除いてはエジプト全土が一面の沼沢地で、現在モイリス湖の下方(北方)に当る地域一帯は、今日海からナイル河を遡航して七日間を要する距離にわたっているが、当時は全く水面下に沈んでいたという。

五 エジプトの国土に関する彼らの話はもっともであると私にも思われた。というのは、いやしくも物の解る者ならば、たとえ予備知識を持たずとも一見すれば明らかなことであるが、今日ギリシア人が通航しているエジプトの地域は、いわば(ナイル)河の賜物ともいうべきもので、エジプト人にとっては新しく獲得した土地なのである。それのみならず、モイリス湖の上方(南方)遡航三日間に及ぶ地域もまた−−祭司たちの話はこの地方にまでは及んでいないが−−、前述の地方と同様な例といってよい。エジプトという国の地勢を一言でいえばこうである−−まず海路エジプトに近付き、陸地からなお一日の航程の距離をおいて測鉛をおろしてみると、泥土が上ってきて水深は十一オルギュイアであることが判る。これによって沖積土が実にこのあたりまで及んでいることが知られるのである。』


(訳注から。414ページ。)

『164-4 ギリシア人が通航している地域というのが、ナイル河のデルタ地域を指すことはいうまでもない。「ナイル河の賜物」という句は古来有名であるが、これはヘロドトスの先輩であるヘカタイオスがすでにそのエジプト史に使用した句であるという。』



【参考ページ】
エジプト文明





参考文献
「ヘロドトス 歴史(上)」ヘロドトス著、松平千秋訳、岩波文庫、1971年


2002/5/25

  <広告>


 BACK_HOMEトップのページ   BACK世界史のページ   年表1年表1に戻る   前へ戻る前へ戻る