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BC195年ころ 衛氏朝鮮の建国


 伝説の箕氏朝鮮が実在していたかどうかは、はっきりわからない。
 中国の戦国時代に戦国七雄のひとつ「燕」が、遼寧に長城を築き、朝鮮に攻め寄せて、「朝鮮」と「真番」が服属したという。
 また、中国を統一した「秦」は、BC214年に朝鮮に迫り、「朝鮮」はあらためて秦に服属した。

 秦が滅び、漢が成立するまでの間、激しい動乱により「燕」「斉」「趙」などから多数の中国人が朝鮮の方へ逃げてきた
 司馬遷の「史記」によれば、漢が中国を統一すると、廬綰(ろかん)を燕王とした。BC195年に燕国が漢と対立して滅亡すると、廬綰は匈奴へ亡命した。このとき、満は一千余人を率いて朝鮮に亡命して、朝鮮の実権を奪い、朝鮮半島南部の「真番」や朝鮮半島東岸の「臨屯」も支配下におさめた。これが、衛氏朝鮮である。

 衛氏朝鮮は、つねに抵抗に悩み、数代にして衰徴に向かい、BC108年に漢の武帝の侵略を受けて滅びる。

(注:古代における「朝鮮」「真番」「臨屯」の位置は、必ずしも明確でなく、時代による変遷もあったようである。この時代の「朝鮮」については、朝鮮半島北西部とする説、中国の遼寧省あたりとする説、箕氏朝鮮とする説などがある。)





参考文献
「朝鮮史 新書東洋史10」梶村秀樹著、講談社現代新書、1977年
「朝鮮 地域からの世界史1」武田幸男・宮嶋博史・馬渕貞利著、朝日新聞社、1993年
「古代朝鮮 NHKブックス172」井上秀雄著、日本放送協会、1972年


更新 2004/1/28

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  cover  
cover 「朝鮮 地域からの世界史」
「古代朝鮮 NHKブックス 172 」


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