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ヒッタイト古王国


 BC1680年ころ、ヒッタイト人のラバルナ1世が小アジア(アナトリア)の小国家郡を支配し、統一王朝をつくりあげた。ヒッタイト古王国である。

 嫡子のハットゥシリ1世は、都をクッサラから要害の地ハットゥサ(現在のトルコのボガズキョイ)に遷都し、強大な戦力で大国への道を歩みはじめる。
(注:ボガズキョイからは、1万6千枚を越える大量の楔形文字で書かれた粘土板文書が発掘されている。諸王の年代記・法典・神話に分類される。)
 次のムルシリ1世は王国の基礎を固めて、ハルパ(現在のシリアのアレッポ)へ遠征し、BC1595年ころには古バビロニア王国(バビロン第1王朝)を攻め滅ぼした。しかし、この王は凱旋後まもなく暗殺されてしまう。
 その後約50年にわたって、血で血を洗う権力闘争が続き、テレビヌ王(BC1525ころ)のときにようやく秩序を回復する。

 ヒッタイト人は、BC3000年ころにインド=ヨーロッパ語族の原郷を離れ、BC2000年ころに小アジアへ入ったとみられる。
 なお、ヒッタイトは、旧約聖書では「ヘテ」、エジプト人からは「ヘタ」、古代バビロニア人からは「ハッテイ」と呼ばれた。


【製鉄技術】
 アナトリア高原には鉱物資源が豊富で、ヒッタイト人は先住民のハッティ人を征服した際に製鉄技術を継承し、BC1400年ころに浸炭法(注:鋼の表面の炭素含有量を増やして硬化させる方法)によるを発明した。この技術は国家機密とされ、鉄製武器などが作られた。

【馬車】
 また、ヒッタイト人はミタンニ王国から、馬の調教と画期的な6本のスポーク(輻(や))のついた2輪軽戦車、機動的戦術を学んだ。

【ヒッタイト語】
 ボガズキョイ文書のなかには、7種類の言語のあることがわかった。次の7つである。
<当時の国際語>
・シュメール語 〜 シュメール文明の言語。
・アッカド語 〜 当時の国際語。
<インド・ヨーロッパ語族>
・ヒッタイト語 〜 ヒッタイト族。支配者。
・ルウィ語 〜 ルウィ族。エーゲ海方面へ異動。
・パラ語 〜 パラ族。くわしくわかっていない。
・ハッティ語 〜 先住民。旧約聖書の「ヘテびと」。
・フルリ語 〜 フルリ族。アーリアン人。ミタンニ王国。インドのサンスクリットに近い。



【参考ページ】
ヒッタイト王国がミタンニ王国を滅ぼす ・・・(作成中)
ヒッタイト新王国滅亡 ・・・(作成中)





参考文献
「クロニック世界全史」講談社、1994年
「世界の歴史2 古代オリエント」岸本通夫ほか著、河出文庫、1989年
「新訂版チャート式シリーズ 新世界史」堀米庸三・前川貞次郎共著、数研出版、1973年
「広辞苑 第二版」岩波書店、1969年
「コンサイス外来語辞典」三省堂、1972年

2004/2/6

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