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箕氏朝鮮の誕生(伝説)


 朝鮮総体の建国伝説については、箕氏(きし)朝鮮についての伝説と、檀君(だんくん)伝説と、2つの異なる伝説がある。


 箕氏朝鮮建国伝説は、司馬遷の「史記」に、概ね次のような記述がある。
 箕氏(胥余)は、中国の王朝第28代文丁の子で、徳のある人物で、はじめ王朝最後の王である(ちゅう)王に仕え、紂王の無道を諌めてうとんじられたが、殷を滅ぼした武王によって朝鮮に封じられ、朝鮮侯箕子は殷の遺民を率いて東方へ赴き、礼儀や農事・養蚕・機織の技術を広め、また「犯禁八条」を実施して民を教化したので、理想的な社会が保たれたという。(出典:LINK 箕子朝鮮 - Wikipedia の「概要」の項)

 この箕氏朝鮮の建国伝説は、司馬遷の「史記」にのみ記述がみられ、朝鮮側には文献上も伝承としても類話がまったくなく、それらしい遺跡もないという。
 ただし、後の儒者が文献に取り入れたり、李氏朝鮮の時代に「箕氏廟」が平壌につくられたりしている。



【檀君伝説】
 もうひとつの朝鮮建国神話が、檀君(だんくん、タングン)伝説で、それは次のようなものである。

 天帝桓因(かんいん、ホワンイン)の庶子の王子桓雄(かんゆう、ホワンウン)を人間世界を治めるため地上に降ろすことになった。桓因は桓雄に天符印を三個 (剣・鏡・鈴あるいは剣・鏡・曲玉の神器)(注)授けて、「天下って人間界を治めてみよ」と命じた。桓雄は三千の供を率い、太白山頂上の神壇樹(栴檀(せんだん))の木の下に天降り、そこを神市と名づけた。桓雄は風伯・雨師・雲師の三神をしたがえて、穀物・命・病・刑・善悪など人間に関する360余事を司り、人間界を治め、教化につとめた。
金両基著「物語 韓国史」(中公新書、1989年)p16 では、次のように注釈として記している。
『* 天符印三個とは霊験あらたかな神器である。筆者は剣と鏡と鈴の三器だと考えているが、鈴のかわりに曲玉を考える説もある。巫俗神事では、今日でも剣と鏡と鈴が多用されている。天符印三個を授かることによって、桓雄は天帝の子として人間界の諸事を治めることができた。日本の皇室に伝わる三種の神器と同種とみていい。』
 これに対して、室谷克実氏は、次の動画(4分35秒付近から) で下のような主旨を語っている。
LINK YouTube ≫ 『その国は「欺術大国」なのですA【再】』室谷克実 AJER2013.1.12(4)
『 天符印三個とは「天の存在を示すハンコが3つ」ということであって、原典の「三国遺事」には剣・鏡・勾玉(曲玉)とは書いていない。勾玉は日本の特産品で、朝鮮半島南部からいくつか出土しているが、そのヒスイは日本の糸魚川のものと同じであると科学的分析の結果により確認されている。檀君神話の舞台である朝鮮半島北部からは、勾玉はまったく出土していない。金両基 氏のいう剣・鏡・勾玉(曲玉)には何の根拠もない。これは、日本の天孫降臨神話に似せるように、檀君神話に勝手な根拠不明の解説を作り上げたのである。』
 室谷克美著「日韓がタブーにする半島の歴史」(新潮新書、2010年)p160-162 にも、この主旨で記述されている。 )

 天降った樹の下の洞窟に住む一匹のと一匹のとが桓雄をしたい、人間になって忠義を尽くしたいと願ったので、桓雄はもぐさ一束とにんにく(注)二十本を与え、洞窟にこもって百日間の修行をすることを命じた。ところが気短なは修行に耐えられず逃げ出してしまって人間になりそこねた。は首尾よく修行を全うして美女と化した。そこで桓雄はその熊女を娶って王子の檀君王倹(おうけん、ワンゴム)を生ませ、王倹は平壌城(またの名王倹城。今の平壌ではないとする説もある。)に都を定め、はじめて朝鮮の国を開いた。その後、都を白岳山の阿斯達(あしたつ、アサダル)に移し、1500年間国を治めたが、周の武王が箕氏を朝鮮に封じたので、蔵唐京に移り、のちに阿斯達にもどって山に隠れ、山神になった。1908歳もの長寿を全うした。
(注:室谷克美著「日韓がタブーにする半島の歴史」(新潮新書、2010年)p159 によると、にんにく(原典では「蒜」)は、西アジアが原産で、中国を経て日本へ伝わったのは平安時代、八世紀末頃で、朝鮮半島に伝わったのも七世紀か八世紀ではないのか、紀元前2500年ごろ朝鮮半島に蒜があったとは信じがたい、と述べている。 )

 この説話がはじめて文献としてみられるのは、高麗後期の僧一然(1206〜1289年)の「三国遺事」であるという。
 後に、この檀君による建国の年は、西暦紀元前2333年(注)に比定された。
(注:紀元前2333年に比定されたのは、檀君即位を「中国の伝説上の聖人「堯」の即位から50年目」としている記述などによったもの。(出典:LINK 檀君 - Wikipedia の「檀君紀元」の項)
 また、大韓民国では、1948年から1961年までの間、「檀紀○○年」という形で檀君紀元が公式に使用されたことがある。(出典:LINK 檀君紀元 - Wikipedia ) )

 LINK 檀君 - Wikipedia では、檀君伝説について、要約すると概ね以下のように記述しており、創作説話であるとみている。
・「〜」は道教の比較的階級の低いの称であり、「檀君」は「檀の神」であることを表す。
・「」は仏教説話に結び付いている。本来はインドや東南アジアなど熱帯系の植物で、朝鮮には自生しないが、朝鮮の妙香山は今でも香木で有名で、高麗時代に「檀」と称して解熱薬とされた。
・「王倹」は、平壌の古名として『史記』朝鮮列伝に出てくる。元々は地名。「王倹仙人」も平壌の地霊を示す。
・「檀君王倹」は、この二人の神「檀君」と「王倹」を結び付けたもの。
・夫余(ふよ)の建国神話に出てくる天神「解慕漱(ヘモス)」は、檀君神話の「桓雄(ハムス)」と元は同じ音で、同名同一の神。
・ツングース系の諸民族に獣祖神話(人・熊・虎)が伝わっている。
・檀君神話は、これらを組み合わせた創作説話と推測され、国家としての檀君朝鮮の実在性も認められない。
・檀君はあくまでも説話上の存在であり、実在しなかったとされている。
・創作の目的は、朝鮮の古来からの独立を示すためと推測される。





【LINK】
LINK YouTube ≫ 『ニンニクのない檀君神話!?@【再】』室谷克実 AJER2013.1.12(3)
LINK YouTube ≫ 『その国は「欺術大国」なのですA【再】』室谷克実 AJER2013.1.12(4)
LINK ねずさんの ひとりごと檀君神話という韓国のデタラメ
LINK 箕子朝鮮 - Wikipedia
LINK 檀君 - Wikipedia
LINK 檀君朝鮮 - Wikipedia
LINK 檀君紀元 - Wikipedia
LINK 三国遺事 - Wikipedia





参考文献
「物語 韓国史」金両基著、中公新書、1989年
「朝鮮史 新書東洋史10」梶村秀樹著、講談社現代新書、1977年
「朝鮮 地域からの世界史1」武田幸男・宮嶋博史・馬渕貞利著、朝日新聞社、1993年
「古代朝鮮 NHKブックス172」井上秀雄著、日本放送協会、1972年
LINK 箕子朝鮮 - Wikipedia
LINK 檀君 - Wikipedia
LINK 檀君紀元 - Wikipedia
「日韓がタブーにする半島の歴史」室谷克美著、新潮新書、2010年


更新 2014/2/14

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