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農耕と牧畜の開始(文明への始り)


 農耕開始の最も重要な点は、人類が穀物の大量生産により食物を貯蔵・保管できるようになったという点にある。これにより、日々の食物獲得に追われる生活から解放される人々がでてきて、文明を築き上げていくことになる。
 野生動物の家畜化は、狩猟民によってなされたとする説と、農耕民によってなされたとする説があるが、遊牧の開始は農耕のはじまりよりも遅いものと考えられるようになってきている。


【農耕と牧畜の発生地】
 従来、農耕はメソポタミアで始まり、そこから世界へ広がっていったという一元説が唱えられてきましたが、現在は、いくつかの地域で独自に農耕が始まったという説があり、この方が妥当性があるように思われます。なお、「  」は、中尾佐助氏が名付けている名前です。

1 東南アジア「根栽農耕文化」
   サトウキビ、タロイモ、ヤムイモ、バナナ
  • 発生地は中国南部からマレー半島にわたる地域とみられ、そこからポリネシア東端まで伝わった。
  • パプアニューギニアの中央高地で、BC9000年ころの導水溝が発掘され、植物栽培の証拠とされている。
  • 掘り棒、石斧はあったが、鍬はない。土器もなく、石焼きで調理した。
  • 穀類、豆類はない。デンプン・糖質の摂取は多いが、タンパクを欠きやすく、漁業などで補う必要がある。
  • イヌ、ブタ、ニワトリが家畜として利用されたが、日常食ではなかった。
  • いも類は重く腐りやすいため、収穫物の集中、貯蔵が難しく、強大な権力が成立しにくい。


2 メソポタミア「地中海農耕文化」
   大麦、エンドウ、ビート、小麦
  • 発生地は、メソポタミアの「肥沃な三日月地帯」。
     ではなくて、パレスチナのイェリコやアスワドがはじまりか?
  • 旧石器時代終末期に野生の大麦、小麦などの採集が始まり、新石器時代には耕作を行った。
  • BC9500年ころBC9000年ころのイエリコの遺跡で農耕の痕跡が発見されている。
  • 冬に生育期を向かえる麦を中心とし、冬作の豆類、根菜類を主とする。
  • 石製の臼と杵、パン焼き炉があり、後に土器も現れ、家畜による犂も用いられるようになった。
  • ヤギ、ヒツジ、ウシが飼われ、乳加工が発達した。
  • メソポタミアから、エーゲ海地方、北アフリカ、イタリア、西ヨーロッパへ伝わり、文明を築いた。
  • ユーラシア大陸のステップ地帯に伝わり遊牧民を生む基礎となった。
  • 麦類はチベット・ルートとシベリア・ルートにより中国へ伝わり古代帝国形成の基礎となった。
  • イラン高原を経てインドに伝わり、古代帝国形成の基礎となった。


3 メソアメリカ「新大陸農耕文化」
   ジャガイモ、菜豆、カボチャ、トウモロコシ
  • BC5000年ころのテワカンで、トウモロコシの栽培
  • 穀類のトウモロコシを中心に、豆類、いも類、かぼちゃ、とまと、とうがらしなど、いずれも夏作物である。
  • リャマが家畜とされた。
  • 16世紀にヨーロッパ人が到達したときには、鉄器のない新石器時代で、農耕文化のうえにインカ、アステカの大帝国を築いていた。(マヤはすでに滅びていた。)


4 西アフリカ「サバンナ農耕文化」
   ササゲ、シコクビエ、ヒョウタン、ゴマ
  • 発生地はアフリカのサハラ砂漠以南のサヘル地帯とよばれるサバンナ地帯(ニジェール川の中流域)。
  • 西アフリカから、東アフリカ、インド、中国、日本、東南アジアに伝わり、独自に発展するとともに、相互に影響しあった。
  • イネを含む雑穀が主で、豆類もある。いずれも夏作物という点が共通している。
  • 家畜はなかったが、地中海農耕文化から、ウシ、ヒツジ、ヤギが伝わり、ブタも飼うようになった。
  • 鍬が用いられ、家畜による犂が地中海農耕文化から伝わった。
  • コメ以外は粉食が多く、臼と杵が常に用いられる。土器により調理した。
  • インド、中国で、麦作の地中海農耕文化の影響も受け古代帝国が成立した。その他、多くの王国が成立している。



【農耕の発展】
 従来、農耕は大河のほとりで始まったとされてきましたが、メソポタミアの研究では、まず北イラクの山麓地帯(ザクロス山脈やレバノン山脈の西側)で雨水を利用してはじまり、ジャルモ、ハッスーナ、ハラーフ、サッマラ、エリドゥと伝わり、しだいに南下して、やがてティグリス、ユウフラテス川下流の大規模な灌漑農耕へ発展していったと考えられます。
 大河の水を利用した大規模な灌漑農耕が、豊かな収穫を可能にし、大量の余剰生産物を生みだしました。これが、文明の発生へとつながっていった。したがって、農耕=文明ではないのであって、大規模灌漑農耕が文明を生む基盤となりました。



【農耕の伝搬】
 メソポタミアのパレスチナではじまりメソポタミアに伝わった農耕文化は、シュメール都市文化の商業活動による交易にともない東西へ伝えられた。
 パレスチナ(BC9000年頃) → メソポタミア(BC9500年頃BC6500年頃?) → アナトリア → 南ロシア・ギリシャ(BC6000年頃) → バルカン半島 → ドナウ川をさかのぼり東欧へ(BC4500年頃) → 中欧 → 北欧
    帯文土器の伝搬により後付けられる(チャイルドの研究)
 メソポタミア → エジプト(BC4500年頃) → 北アフリカ → イベリア半島 → 西欧 → 北欧
    エジプトに発する巨石文化の移動と同じ
 メソポタミア → スーサ → シジスターン → インダス流域(モヘンジョダロ・ハラッパ)(BC3500年頃)
    エジプトに発する巨石文化の移動と同じ
 メソポタミア → スーサ → アナウ → トルファン → 蘭州 → 仰韶
    彩色土器の系統を追跡(アンデルソンの研究)
 他の農耕文化の伝搬についても、研究が進んでいる。



【日本の農耕と牧畜】
 縄文時代中期ころ、狩猟や採集と並んでアワ、ヒエ、豆類、根菜類を焼畑方式で栽培していたと考えられる。
 BC300年ころBC900年ころ、水稲作が揚子江下流の江南地方から直接か、あるいは朝鮮南部を経て、九州北部へ伝わったとされる。
 日本における牧畜は、農耕と結びついた形で発達してきたと考えられる。

LINK KYODO NEWS稲作伝来、500年早い 歴民博が放射性炭素測定で
LINK 国立歴史民俗博物館弥生時代の開始年代について
LINK 正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現日本から朝鮮半島への米の伝播について・稲作の伝播のまとめ 〜個人のブログ。非常に説得力があるのですが、出典が「Yahoo!掲示板」となっています。どう扱ったらいいのやら。





参考文献
「文明の誕生」伊東俊太郎著、講談社学術文庫、1988年
「日本大百科全書 2001」小学館 から「農耕文化」中尾佐助著、1987年
「世界歴史大事典」(株)教育出版センター から「農耕」および「牧畜」、1991年

LINK 安田火災海上保険株式会社環境公開講座1998.10.13講義 「環境と文明」の2農業革命(講師:伊東俊太郎氏)〜この文献を基に、一部見え消しで修正

LINK MSN Encarta(UK)ReferenceAgriculture (Page 2 of 3)〜この文献を基に、一部見え消しで修正

LINK のぶさんのアジア通信第二部 資料編 詳細目次第二部 資料編 第2章 照葉樹林文化 第3節 農耕文化 第7項 稲作

LINK KYODO NEWS稲作伝来、500年早い 歴民博が放射性炭素測定で
LINK 国立歴史民俗博物館弥生時代の開始年代について


更新 2012/10/23

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  cover cover「文明の誕生」 講談社学術文庫


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