1945年 硫黄島の戦い日本軍は前年の1944年7月にサイパン島(北マリアナ諸島)を、8月にテニアン島(北マリアナ諸島)とグアム島を、12月にレイテ島(フィリピン)を失っていた。また、10月のレイテ沖海戦では多数の艦艇を失っている。アメリカ軍はこの年の暮れにはサイパン島から日本本土への爆撃を始めており、硫黄島(小笠原諸島)はこの航路の中間点に位置している。 日本側は、1944年5月に栗林忠道中将が小笠原方面最高指揮官として父島へ赴任、調査の結果、硫黄島に師団司令部を置くこととし、6月26日にはこの師団を含めた小笠原兵団(大本営直轄部隊)が編成された。7月後半までに民間人全員の疎開を完了した。島の全面的な要塞化が計画された。広範囲な地下坑道は計画の全長28kmのうち約18kmが完成し、いたるところにトーチカも設置された。硫黄ガスが発生するため、換気には細心の注意が払われた。また、兵力の増強が戦闘開始まで続いていたが、資材は十分でなく、食料や飲料水も不足していた。 アメリカ側は、硫黄島攻略とそれに続く沖縄上陸の方針を固めるとともに、ソ連のスターリンに対日参戦を促し、1945年2月4日〜11日にはヤルタ会談(ルーズベルト・チャーチル・スターリン)が行われた。 アメリカ軍は、硫黄島への上陸準備として74日間の連続で爆撃機による爆撃を行ない、2月16日からは艦砲射撃を行って、1945年2月19日に大船団による上陸作戦を敢行した。当日朝から艦砲射撃と爆撃機による爆撃を行って、午前9時から上陸作戦を開始した。日本軍は制海権・制空権が全くないため水際での攻撃は行わずに陸戦に持ち込む作戦で、午前10時過ぎから海岸に上陸したアメリカ軍に一斉攻撃を開始して大きな損害を与えた。夕方までにアメリカ海兵隊30,000名が上陸し橋頭堡を築いた。 その後、地上戦が展開される。日本軍はいたるところにある地下坑道を活用して攻撃を行い、アメリカ軍は強力な火炎放射器なども使って坑道を焼き払った。 2月21日には、日本本土から飛来した航空機による特攻も行われている。 2月23日に硫黄島の南西部にある摺鉢山(すりばちやま)が陥落した。この時、アメリカ軍が摺鉢山の頂上に星条旗を掲揚し、改めてより大きな旗に替えるところを、AP通信の写真家・ジョー・ローゼンタールが写真撮影した(ピューリッツァー賞を受賞した「硫黄島の星条旗(Raising the Flag on Iwo Jima)」)。「その後、日本軍が反撃し星条旗を引きずり下ろして日章旗を掲げたが、アメリカ軍が奪回して再び星条旗を掲げ直すという争奪戦が2度に渡って繰り広げられた。最後に翻った日章旗は血染めであったという。」(引用: 硫黄島の戦い - Wikipediaの「摺鉢山の戦い」の項) |
(注:この「硫黄島の星条旗」をめぐる状況については、クリント・イーストウッドが監督した2006年のアメリカ映画「父親たちの星条旗」で、詳しく描かれている。この映画の原作は、ジェイムズ・ブラッドリーとロン・パワーズによるノンフィクション本「硫黄島の星条旗」(原題 Flags of Our Fathers)である。(出典: 父親たちの星条旗 - Wikipedia および 硫黄島の星条旗 - Wikipedia ) また、 NHK総合放送「NHKスペシャル 憎しみはこうして激化した 〜戦争とプロパガンダ〜」(2015年8月7日放送) でも、「硫黄島の星条旗」をめぐる状況が取り上げられた。 |
摺鉢山を攻略したアメリカ軍は硫黄島北部への攻撃に移り、2月24日から26日にかけ日本軍の地下坑道を攻略しながら島の中央にある元山飛行場へ向けて前進し、2月26日夕刻に元山飛行場が陥落。同26日にはアメリカ軍の確保した千島飛行場が一部使用可能となり、3月初めにはアメリカ軍の整備した飛行場が殆ど完成しB-29が発着できるようになった。 元山正面の日本軍陣地の守りは堅かったが、3月5日に栗林中将は拠点を島の中央部から北部へ移すことに決定。3月7日、アメリカ軍は払暁奇襲を断行して中央突破に成功し、日本軍を島の北部と東部に分断した。 3月7日、栗林中将は最後の電報(膽参電第三五一号)を大本営に発信した。 3月14日、軍旗を奉焼。 3月17日、アメリカ軍は硫黄島最北端の北ノ鼻まで到達。同日、栗林中将は最後の総攻撃を各部隊へ指令したが、時機をみて3月26日の総攻撃となった(栗林中将以下196人が戦死)。栗林中将が戦闘前から戒めていた決死の万歳突撃ではなく、必至の夜襲であった。これによって日本軍の組織的戦闘は終結したが、局地的戦闘やゲリラによる遊撃戦が、終戦まで続いた。 小笠原兵団の指揮下に入った第27航空戦隊の司令官であった市丸利之助少将は、遺書として「ルーズベルトニ与フル書」を懐中に抱いて出撃した。この書は死後にアメリカ軍の手に渡り、7月11日にアメリカの新聞にも掲載されたが、ルーズベルトは4月12日に急死しておりこの書を読むことはなかった。この書のなかで、@日本を好戦国・黄禍と言って陥れ、A白人が有色人種を奴隷化し、Bスターリンと協調しようとしているなどと、アメリカを批判している。 また、1932年のロサンゼルスオリンピックの金メダリスト(馬術障害飛越競技)で「バロン西」としてアメリカ人にもよく知られていた戦車第26連隊連隊長の西竹一中佐も、硫黄島で戦死している。 硫黄島探訪 ≫ 9.硫黄島戦資料他 ≫ 硫黄島戦の両軍の損害 によると、日本軍の戦死者は20,129人・負傷者1,020人、アメリカ軍の戦死者は6,821人・負傷者21,865人。日本軍の負傷者数が、ほぼ生還者数に近いとみられる。なお、米軍が硫黄島の占領を宣言した3月中旬での捕虜数は200名前後だったらしい。 硫黄島での日本兵の遺骨収集が、現在(2012年)も続いている。戦闘中にアメリカ軍が造り今も自衛隊が使用している飛行場・滑走路の下にも地下坑道や遺骨があるのではないかと見られており、課題となっている。 【市丸利之助少将のルーズベルト大統領あて手紙】 市丸利之助少将(死後に中将)が、遺書としてアメリカ大統領あてに残した書。 ルーズベルトニ与フル書 - wikisource から、日本語文の方を全文引用します。 |
『米国大統領への手紙』平川祐弘 新潮社 より 日本海軍、市丸海軍少将、書ヲ「フランクリン ルーズベルト」君ニ致ス。 我今、我ガ戦ヒヲ終ルニ当リ、一言貴下ニ告グル所アラントス。 日本ガ「ペルリー」提督ノ下田入港ヲ機トシ、広ク世界ト国交ヲ結ブニ至リシヨリ約百年、此ノ間、日本ハ国歩難ヲ極メ、自ラ慾セザルニ拘ラズ、日清、日露、第一次欧州大戦、満州事変、支那事変ヲ経テ、不幸貴国ト干戈ヲ交フルニ至レリ。 之ヲ以テ日本ヲ目スルニ、或ハ好戦国民ヲ以テシ、或ハ黄禍ヲ以テ讒誣シ、或ハ以テ軍閥ノ専断トナス。思ハザルノ甚キモノト言ハザルベカラズ。 貴下ハ真珠湾ノ不意打ヲ以テ、対日戦争唯一宣伝資料トナスト雖モ、日本ヲシテ其ノ自滅ヨリ免ルルタメ、此ノ挙ニ出ヅル外ナキ窮境ニ迄追ヒ詰メタル諸種ノ情勢ハ、貴下ノ最モヨク熟知シアル所ト思考ス。 畏クモ日本天皇ハ、皇祖皇宗建国ノ大詔ニ明ナル如ク、養正(正義)、重暉(明智)、積慶(仁慈)ヲ三綱トスル、八紘一宇ノ文字ニヨリ表現セラルル皇謨ニ基キ、地球上ノアラユル人類ハ其ノ分ニ従ヒ、其ノ郷土ニ於テ、ソノ生ヲ享有セシメ、以テ恒久的世界平和ノ確立ヲ唯一念願トセラルルニ外ナラズ。 之、曾テハ「四方の海 皆はらからと思ふ世に など波風の立ちさわぐらむ」ナル明治天皇ノ御製(日露戦争中御製)ハ、貴下ノ叔父「テオドル・ルーズベルト」閣下ノ感嘆ヲ惹キタル所ニシテ、貴下モ亦、熟知ノ事実ナルベシ。 我等日本人ハ各階級アリ。各種ノ職業ニ従事スト雖モ、畢竟其ノ職業ヲ通ジ、コノ皇謨、即チ天業ヲ翼賛セントスルニ外ナラズ。 我等軍人亦、干戈ヲ以テ、天業恢弘ヲ奉承スルニ外ナラズ。 我等今、物量ヲ恃メル貴下空軍ノ爆撃及艦砲射撃ノ下、外形的ニハ退嬰ノ己ムナキニ至レルモ、精神的ニハ弥豊富ニシテ、心地益明朗ヲ覚エ、歓喜ヲ禁ズル能ハザルモノアリ。 之、天業翼賛ノ信念ニ燃ユル日本臣民ノ共通ノ心理ナルモ、貴下及「チャーチル」君等ノ理解ニ苦ム所ナラン。 今茲ニ、卿等ノ精神的貧弱ヲ憐ミ、以下一言以テ少ク誨ユル所アラントス。 卿等ノナス所ヲ以テ見レバ、白人殊ニ「アングロ・サクソン」ヲ以テ世界ノ利益ヲ壟断セントシ、有色人種ヲ以テ、其ノ野望ノ前ニ奴隷化セントスルニ外ナラズ。 之ガ為、奸策ヲ以テ有色人種ヲ瞞着シ、所謂悪意ノ善政ヲ以テ、彼等ヲ喪心無力化セシメントス。 近世ニ至リ、日本ガ卿等ノ野望ニ抗シ、有色人種、殊ニ東洋民族ヲシテ、卿等ノ束縛ヨリ解放セント試ミルヤ、卿等ハ毫モ日本ノ真意ヲ理解セント努ムルコトナク、只管卿等ノ為ノ有害ナル存在トナシ、曾テノ友邦ヲ目スルニ仇敵野蛮人ヲ以テシ、公々然トシテ日本人種ノ絶滅ヲ呼号スルニ至ル。之、豈神意ニ叶フモノナランヤ。 大東亜戦争ニ依リ、所謂大東亜共栄圏ノ成ルヤ、所在各民族ハ、我ガ善政ヲ謳歌シ、卿等ガ今之ヲ破壊スルコトナクンバ、全世界ニ亘ル恒久的平和ノ招来、決シテ遠キニ非ズ。 卿等ハ既ニ充分ナル繁栄ニモ満足スルコトナク、数百年来ノ卿等ノ搾取ヨリ免レントスル是等憐ムベキ人類ノ希望ノ芽ヲ何ガ故ニ嫩葉ニ於テ摘ミ取ラントスルヤ。 只東洋ノ物ヲ東洋ニ帰スニ過ギザルニ非ズヤ。 卿等何スレゾ斯クノ如ク貪慾ニシテ且ツ狭量ナル。 大東亜共栄圏ノ存在ハ、毫モ卿等ノ存在ヲ脅威セズ。却ッテ、世界平和ノ一翼トシテ、世界人類ノ安寧幸福ヲ保障スルモノニシテ、日本天皇ノ真意全ク此ノ外ニ出ヅルナキヲ理解スルノ雅量アランコトヲ希望シテ止マザルモノナリ。 飜ッテ欧州ノ事情ヲ観察スルモ、又相互無理解ニ基ク人類闘争ノ如何ニ悲惨ナルカヲ痛嘆セザルヲ得ズ。 今「ヒットラー」総統ノ行動ノ是非ヲ云為スルヲ慎ムモ、彼ノ第二次欧州大戦開戦ノ原因ガ第一次大戦終結ニ際シ、ソノ開戦ノ責任ノ一切ヲ敗戦国独逸ニ帰シ、ソノ正当ナル存在ヲ極度ニ圧迫セントシタル卿等先輩ノ処置ニ対スル反撥ニ外ナラザリシヲ観過セザルヲ要ス。 卿等ノ善戦ニヨリ、克ク「ヒットラー」総統ヲ仆スヲ得ルトスルモ、如何ニシテ「スターリン」ヲ首領トスル「ソビエットロシヤ」ト協調セントスルヤ。 凡ソ世界ヲ以テ強者ノ独専トナサントセバ、永久ニ闘争ヲ繰リ返シ、遂ニ世界人類ニ安寧幸福ノ日ナカラン。 卿等今、世界制覇ノ野望一応将ニ成ラントス。卿等ノ得意思フベシ。然レドモ、君ガ先輩「ウイルソン」大統領ハ、其ノ得意ノ絶頂ニ於テ失脚セリ。 願クバ本職言外ノ意ヲ汲ンデ其ノ轍ヲ踏ム勿レ。 市丸海軍少将 |