1946年 日本国憲法公布1946年(昭和21年)11月3日(注)、戦後の新しい憲法「日本国憲法」が公布された。施行は翌1947年(昭和22年)5月3日である。 憲法公布の式典が、貴族院本会議場で行われた。また、宮城前広場(現在の皇居前広場)で新憲法公布記念祝賀都民大会も行われている。 |
(注: 11月3日は明治天皇の誕生日である。明治期には天長節(今でいう天皇誕生日)の祝祭日で、当初は旧暦9月22日であったが、1873年(明治6年)の西暦導入により新暦11月3日に改められた。明治天皇の崩御により、崩御日である7月30日が明治天皇祭(先帝祭のうちの1つ)となり、天長節は大正天皇の誕生日である8月31日に替わったが、1925年(大正14年)に「明治節」の請願運動が起こり、1927年(昭和2年)に「明治節」として11月3日が祝祭日に設定された。日本国憲法公布より後の1948年(昭和23年)に「国民の祝日に関する法律」が施行されて、11月3日は「文化の日」、5月3日は「憲法記念日」とされた。(出典: 明治節 - Wikipedia 、 天皇誕生日 - Wikipedia 、 先帝祭 - Wikipedia 、 国民の祝日に関する法律 - Wikipedia 、 休日ニ関スル件 - Wikipedia 。 ) 日本国憲法が公布された1946年(昭和21年)には、11月3日は明治節であった。 YouTube ≫ 高山正之×菅沼光弘『異見自在』スペシャル対談 その1「TPPについて」の動画(20分40秒付近から)の高山正之氏の発言によると、日本国憲法の公布は当初2月22日(ジョージ・ワシントンの誕生日)が考えられていたと、マーク・ゲイン著「ニッポン日記」に書かれているそうです。 また、GHQは、昭和天皇の誕生日(4月29日)にA級戦犯を起訴し(1946年(昭和21年)4月29日)、今上天皇(平成の天皇。当時は皇太子。)の誕生日(12月23日)にA級戦犯の処刑(死刑の執行)を行っています(1948年(昭和23年)12月23日)。さらに、ニクソンショック(ドルと金の交換停止の方)は8月15日(1971年)であること、東京大空襲(1945年(昭和20年)3月10日)のあった3月10日は日本の陸軍記念日であることを、この動画(20分08秒付近から)で指摘しています。(参考: ニクソン・ショック - Wikipedia 、 東京大空襲 - Wikipedia 、 陸軍記念日 - Wikipedia ) ) |
【憲法草案の検討】 日本政府(幣原内閣)は1945年(昭和20年)10月27日に、松本烝治国務大臣を委員長とする「憲法問題調査委員会」を設置して、憲法の改正について検討を始めた。委員会の内容は機密扱いであったが、翌1946年2月1日に毎日新聞が憲法問題調査委員会の試案であるとしてスクープ報道を行った。それは、検討中の試案ではなく、検討途中で破棄された1つの案であった。 これを知った連合国総司令部(GHQ)は日本政府に改正案の提出を求めたが、日本政府はまだ出来ていないとして改正概要についての書類を提出した。改正内容が保守的であると判断したGHQは、独自に新憲法案を作成することとし、急遽作成作業に入った。GHQの案(象徴天皇制と戦争・軍事力の放棄を含む内容)は、1946年2月13日に日本側へ渡された。 日本側はやむなくGHQの案に沿った日本案を作成することになった。GHQに作業を急がされて、松本烝治国務大臣、佐藤達夫法制局第一部長、入江法制局次長の3人が日本案の作成にあたった。1946年3月4日〜5日に日本案をGHQ側とすりあわせて政府案となった。大部分においてGHQの主導によって作成されたことは、否定できない。 YouTube ≫ 第3週1話松本烝治の奮闘〜最初は押し付けじゃなかった?【CGS 倉山満】 YouTube ≫ 第3週2話マッカーサーのラクガキ〜ラクガキが日本の憲法となってしまうまで【CGS 倉山満】 YouTube ≫ 第3週3話金森徳次郎、国体を守るための戦い【CGS 倉山満】 【政府案の議決】 1946年4月10日に戦後初の総選挙(注1)が行われて、日本自由党が第一党となり、自由党総裁の鳩山一郎が後継首相として、現首相の幣原喜重郎によって昭和天皇に奏上され(4月30日)、組閣が終わって宮中で承認式を受ける2時間前(5月4日)、GHQによって公職追放された(注2)。(出典: YouTube ≫ 第4週3話公職追放の真実〜占領軍に不都合なもの【CGS 倉山満】) |
(注1:この選挙は、初めて婦人参政権が認められた選挙である。) (注2:鳩山一郎が公職追放された理由について、倉山満 氏は、 YouTube ≫ 第4週3話公職追放の真実〜占領軍に不都合なもの【CGS 倉山満】のなかで、戦時中にヒットラーを褒めていた(ゴーストライターによる著作?)ことを挙げている。また、 鳩山一郎 - Wikipedia では、戦前の統帥権問題や滝川事件などのためとみている。) |