1946年 日本国憲法公布1946年(昭和21年)11月3日、戦後の新しい憲法「日本国憲法」が公布された。施行は翌1947年(昭和22年)5月3日。 憲法公布の式典が、貴族院本会議場で行われた。また、宮城前広場(現在の皇居前広場)で新憲法公布記念祝賀都民大会も行われている。 【憲法草案の検討】 日本政府(幣原内閣)は1945年(昭和20年)10月27日に、松本烝治国務大臣を委員長とする「憲法問題調査委員会」を設置して、憲法の改正について検討を始めた。委員会の内容は機密扱いであったが、翌1946年2月1日に毎日新聞が憲法問題調査委員会の試案であるとしてスクープ報道を行った。それは、検討中の試案ではなく、検討途中で破棄された1つの案であった。 これを知った連合国総司令部(GHQ)は日本政府に改正案の提出を求めたが、日本政府はまだ出来ていないとして改正概要についての書類を提出した。改正内容が保守的であると判断したGHQは、独自に新憲法案を作成することとし、急遽作成作業に入った。GHQの案(象徴天皇制と戦争・軍事力の放棄を含む内容)は、1946年2月13日に日本側へ渡された。 日本側はやむなくGHQの案に沿った日本案を作成することになった。GHQに作業を急がされて、松本烝治国務大臣、佐藤達夫法制局第一部長、入江法制局次長の3人が日本案の作成にあたった。1946年3月4日〜5日に日本案をGHQ側とすりあわせて政府案となった。大部分においてGHQの主導によって作成されたことは、否定できない。 【政府案の議決】 1946年4月10日に戦後初の総選挙が行われ、6月20日から議会が開催された。このときの総理大臣は吉田茂、新設の憲法担当大臣は金森徳次郎であった。 新憲法案は、1946年8月24日に衆議院を通過、10月5日に小さな修正を加えて貴族院を通過、10月7日に衆議院はこれを受け入れて可決された。 参考文献 「講和条約 戦後日米関係の起点 第一巻」児島襄著、新潮社、1995年 2006/8/8 |