1999年 ユーゴスラビアでコソボ紛争ユーゴスラビア連邦を構成するセルビア共和国のコソボ自治州で、ユーゴ政府軍、セルビア警察、武装した民兵組織が、アルバニア系住民に武力を行使して追い出しを行った。これがいつから始まったかは明確ではないが、1998年9月ころに追い出されたという者もいる。追い出された住民は難民となり、国内のみならず隣国のアルバニアやマケドニアに逃れている。難民は女性、子供、老人が多い。15歳から65歳の男性は連行されるケースもあり、殺害されているのではないかとの観測もある。アルバニア系の武装組織コソボ解放軍(KLA)が抵抗を試みているが、十分な戦力とはなっていない。 これに対し、北大西洋条約機構(NATO)は、現地時間で1999年3月24日(日本時間で3月25日)からユーゴスラビアに空爆を開始した。 1999年5月28日から、EU(欧州連合)特使のアハティサーリ・フィンランド大統領とロシア特使のチェルノムイルジン元首相が、ユーゴスラビアのベオグラードで、ミロシェビッチ・ユーゴスラビア大統領と会談し、同大統領は6月3日に米欧ロシアの和平案を受け入れると表明した。 ユーゴスラビア軍・セルビア治安部隊が6月10日正午ころコソボ自治州北部から撤退を始めたことを受け、NATO(北大西洋条約機構)は10日午後3時半(日本時間10日午後10時半)に空爆の停止を宣言し、78日間におよんだ空爆が終結した。 ユーゴスラビア軍は6月20日にコソボからの撤退を完了した。これにより、コソボは国際部隊と国連コソボ暫定行政支援団(UNMIK)による国際管理下に入った。 【地図】 ユーゴスラビアのコソボ周辺の地図 |
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