【 国 】 |
フランス共和国 (French Republic) |
日本政府外務省 ≫ 各国・地域情勢 ≫ フランス共和国 ≫ 基礎データ |
【LINK】 在フランス日本国大使館(日本語) Ambassade de France au Japon(日本語あり) 在日フランス大使館 フランス政府観光局オフィシャルサイト(日本語) Mus?e du Louvre(仏語・英語・日本語) ルーブル美術館 Mus?e D'orsay(仏語・英語) オルセイ美術館 Mus?e Marmottan Monet(仏語・英語) マルモッタン美術館(第1帝政時代の美術品とモネをはじめとする印象派の作品) Mus?e national du Moyen Age(仏語) 中世(旧クリュニー)博物館(ローマ浴場跡に建てられた館に中世の美術品を展示) Mus?e Carnavalet - Histoire de Paris -(仏語) カルナヴァレ歴史博物館(16世紀のルネッサンス様式の館。フランスの歴史を年代順に紹介。貴族や庶民の暮らしを再現。) Mus?um National d'Histoire Naturelle (仏語) 自然史博物館 !Paris parisrama(仏語・英語) WebMuseum: Paris: History(英語) WebMuseum: Paris: Tours(英語) Cafe de Paris(日本語) 世界204ヶ国を旅して ≫ ヨーロッパ写真館 ≫ フランス写真館 ヨーロッパ三昧 ≫ 旅行記 ≫ フランス 欧羅巴の旅 ≫ フランス ワールドワイド水戸黄門 ≫ 飛猿の海外観光スポット写真集 ≫ パリ/フランス CATANDCHARLIE.COM ≫ PHOTOGRAPHS ≫ PHOTOGRAPHS: Travel(英語) Stone Pages ≫ Stones of France |
【世界遺産】 | |||||
1979 モン-サン-ミシェルとその湾 (Mont-St. Michel and its Bay) |
UNESCO | TBS | A | B | |
1979 シャルトル大聖堂 (Chartres Cathedral) |
UNESCO | TBS | A | B | |
1979 ヴェルサイユの宮殿と庭園 (Palace and Park of Versailles) |
UNESCO | TBS TBS |
B | C | |
1979 ヴェズレーの教会と丘 (Vézelay, Church and Hill) |
UNESCO | A | |||
1979 ヴェゼール渓谷の洞窟壁画群 (Decorated Grottoes of the Vézère Valley, including the Grotto of Lascaux) |
UNESCO | TBS | B | D | |
1981 フォンテーヌブローの宮殿と庭園 (Palace and Park of Fontainebleau) |
UNESCO | TBS | A | B | E |
1981 アミアン大聖堂 (Amiens Cathedral) |
UNESCO | B | |||
1981 オランジュのローマ劇場とその周辺と”凱旋門” (Roman Theatre and its Surroundings and the "Triumphal Arch" of Orange) |
UNESCO | A | |||
1981 アルルのローマ遺跡とロマネスク様式建造物群 (Roman and Romanesque Monuments of Arles) | UNESCO | TBS | A | B | |
1981 フォントネーのシトー会修道院 (Cistercian Abbey of Fontenay) |
UNESCO | TBS | A | ||
1981 シャンボールの城と領地 (Chateau and Estate of Chambord) |
UNESCO | TBS | |||
1982 アルケ-スナンの王立製塩所 (The Royal Saltworks of Arc-et-Senans) | UNESCO | ||||
1983 ナンシーのスタニスラス広場、カリエール広場、アリアンス広場 (Place Stanislas, Place de la Carrière, and Place d'Alliance, Nancy) |
UNESCO | A | B | ||
1983 サン-サヴァン-シュール・ガルタンプの教会 (Church of Saint-Savin-sur Gartempe) |
UNESCO | ||||
1983 コルシカのジロラッタ岬、ポルト岬、スカンドラ自然保護区とピアナ・カランケ (Cape Girolata, Cape Porto, Scandola Natural Reserve, and the Piano Calanches in Corsica) |
UNESCO | B | |||
1985 ポン・デュ・ガール(ローマの水道橋) (Pont du Gard (Roman Aqueduct)) |
UNESCO | A | |||
1988 ストラスブールのグラン・ディル (Strasbourg, Grande Ile) |
UNESCO | TBS | A | B | |
1991 パリのセーヌ河岸 (Paris, Banks of the Seine) |
UNESCO | TBS TBS |
A | B | F G H |
1991 ランスのノートル・ダム大聖堂、サン-レミの旧大修道院とト宮殿 (Cathedral of Notre-Dame, Former Abbey of Saint-Remi and Palace of Tau, Reims) |
UNESCO | TBS | A | B | I J |
1992 ブルージュ大聖堂 (Bourges Cathedral) |
UNESCO | ||||
1995 アヴィニョン歴史地区 (Historic Centre of Avignon) |
UNESCO | TBS | B | ||
1996 ミディ運河 (Canal du Midi) | UNESCO | K | |||
1997 歴史的城塞都市カルカッソンヌ (Historic Fortified City of Carcassonne) |
UNESCO | TBS | B | ||
1998 フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路 (Routes of Santiago de Compostela in France) |
UNESCO | TBS TBS |
|||
1998 リヨン歴史地区 (Historic Site of Lyon) |
UNESCO | TBS | B | ||
1999 サン・テミリオン地域 (Jurisdiction of Saint-Emilion) |
UNESCO | TBS | |||
2000 シュリー・シュル・ロワールとシャロンヌ間のロワール渓谷 (The Loire Valley between Sully-sur-Loire and Chalonnes) |
UNESCO | A | B | ||
2001 中世市場都市プロヴァンス (Provins, Town of Medieval Fairs) |
UNESCO | B | |||
フランス共和国 / スペイン | |||||
1997 ピレネー山脈-ペルデュ山 (Pyr?n?es - Mont Perdu) |
UNESCO | TBS | |||
A:社団法人日本ユネスコ協会連盟 B:フランス政府観光局オフィシャルサイト C:Chateau de Versailles D:Le Minist?re de la culture et de la communication ≫ Grands site arch?ologiques ≫ The cave of Lascaux E:Mus?e et Domaine nationaux du ch?teau de Fontainebleau F:Cath?drale Notre Dame de Paris G:Site officiel du mus?e du Louvre H:Le site officiel de la Tour Eiffel I:Notre-Dame de Reims J:Welcome to City of REIMS K:Le Canal du Midi |
【 歴 史 】 この地域に人が住んだのは、約40万年前の旧石器時代といわれる。 約5万年前の人骨群が、南フランスのクロマニョンとよばれる岩陰遺跡から発見されている。 BC1000年ころからケルト人が渡来しはじめ、当時ガリアとよばれたこの地にケルト系ガリア人の文化が栄えた。 BC58〜BC51年、ローマのカエサルによるガリア遠征でローマの属州となる。 AD300年代後半、ゲルマン民族の大移動により、アラマン族・フランク族がガリアに侵入した。 481年に首長となったフランク族のクローヴィスがフランク王国を建設し、メロビング朝を開いた。クローヴィスはガリアのほぼ全土を支配し、カトリックに改宗して、ローマ教会とローマ人の支持を得た。 751年、ピピン3世がカロリング朝を開き、その子シャルルマーニュ(カール大帝)の代には西ヨーロッパのほぼ全域を支配したが、その後、843年のヴェルダン条約、870年のメルセン条約により、東フランク、西フランク、中フランクに分裂した。フランスの地は西フランク王国の中心となり、しだいにラテン的な民族性を形成していった。 1328年にヴァロア朝のフィリップ6世が王位を継ぐが、1339年からイギリスとの百年戦争に突入。さらに、黒死病(ペスト)が流行し、1358年にジャックリーの乱(農民反乱)が起きる。1415年、イギリスに追い込まれていたフランスにジャンヌ・ダルクが現れ、フランスの優位に転じた。 1521年、フランソワ1世のときイタリア戦争が始まる。イタリア侵略は失敗するが、フランソワ1世がイタリアからレオナルド・ダ・ヴィンチを招くなど、フランスの芸術・文化の刺激となり、その後、イタリア・ルネッサンスの影響を受けた芸術が生まれる。 カルヴァンの宗教改革の影響を受けたカルヴァン派はユグノーと呼ばれていたが、1562年、カトリックのユグノー殺害を機にユグノー戦争(宗教戦争)が始まる。1589年に国王アンリ3世が暗殺されヴァロア朝は断絶。その後を継いだブルボン朝のアンリ4世は、1598年にナントの勅令を出しユグノーの信教の自由を大幅に認め、宗教戦争を終わらせた。 1610年にアンリ4世が狂信的なカトリック信者に暗殺された後、宰相リシュリュー、マザランらによりブルボン朝による絶対王政の基礎が固められ、重商主義政策を推進。ルイ14世(在位1643〜1715年)のころ全盛期となり、ヴェルサイユ宮殿が建設され、北アメリカ、アフリカ、インドへの植民が行われた。 1756〜1763年の7年戦争でカナダの植民地をイギリスに割譲、財政状態が悪化するなか、宮廷の豪奢な生活が続けられ、しだいに民衆の不満がつのっていく。 モンテスキュー、ルソーらの啓蒙思想が浸透していくなか、1789年、ルイ16世が召集した三部会を機に特権身分と第三身分の対立が激化し、7月14日に民衆がバスティーユ牢獄を襲撃しフランス革命が始まる。 1792年に共和制が成立、1793年には国王ルイ16世が処刑された。 1799年、政治的混乱のなかで、ナポレオン1世がクーデターにより政権を獲得し、1804年には皇帝となった。 ナポレオンは国内体制を近代化するとともに、国外への遠征を開始する。1812年のモスクワ遠征に失敗後は守勢にまわり、1814年にナポレオンはエルバ島に流される。翌1815年に、ナポレオンはエルバ島を脱出し再起を計るが、ワーテルローの戦いに破れ、セントヘレナ島へ流された。 1815年のナポレオン敗退後、ルイ18世が王位につきブルボン朝が復活するが、1830年の7月革命でオルレアン家のルイ・フィリップが王位に付く。このころ、工業化がすすみ都市労働者があらわれてくる。 1848年の2月革命でルイ・フィリップは退位し、第二共和制が成立、12月にはナポレオンの甥ルイ・ナポレオンが大統領に選出された。 1851年、ルイ・ナポレオンはクーデターにより政権を独占。翌年には国民投票によりナポレオン3世として皇帝となる。ナポレオン3世は、パリの都市計画を推進し、産業・貿易の振興を図った。 1870年、プロイセン首相ビスマルクの外交戦略により、ナポレオン3世はプロイセンとの普仏戦争を開始するが降伏、臨時政府が樹立された。1871年にはパリ民衆の蜂起によりパリコミューンが成立(3月〜5月)、短期間ではあったが世界初の労働者政権が誕生した。その後、1875年には第三共和制憲法が制定される。 独占資本主義が発展するなか、フランスは帝国主義政策をとり、ヨーロッパ列強と対立しながら、アジア・アフリカへの植民地政策を進める。 1907年には、イギリス・フランス・ロシアによりドイツを取り囲む三国協商が成立。 1914年、第一次世界大戦が勃発。アメリカの参戦により三国協商側が勝利した。戦後のヴェルサイユ体制では中心的な国となり、国際連盟でも常任理事国となった。 ナチス・ドイツの台頭に対し、1939年、戦線を布告し第二次世界大戦に突入。1940年には国土の大半がドイツに占領され親独派の政府が樹立されるが、ド・ゴールはロンドンに臨時政府を樹立して、根強いレジスタンス運動と協力を行っていった。1944年、アメリカを中心とする連合軍がフランスのノルマンディーへ上陸し、ドイツの敗戦が決定的となるとド・ゴールはパリに凱旋、第四共和制が成立する。 1946〜1954年、ベトナムとの間でインドシナ動乱が発生し、アメリカの財政的援助を受けながら戦ったが勝利できなかった。 1960年には、アフリカの12か国の独立を承認した。 参考文献 「クロニック世界全史」講談社 「年表式世界史小辞典」文英堂 「改定新版 世界史辞典」数研出版 |
更新 2004/9/1 |