モンゴル国【 国 】 モンゴル国(Mongolia) モンゴル国 - Wikipedia 日本政府外務省 ≫ 各国・地域情勢 ≫ モンゴル国 ≫ 基礎データ 【LINK】 モンゴル - Wikipedia 在日モンゴル大使館(日本語) 在モンゴル日本国大使館(日本語) 谷中自然史博物館 ≫ モンゴル博物館 モンゴル情報局しゃがぁ 日本・モンゴル民族博物館 トリップアドバイザー ≫ モンゴルの旅行ガイド 旅して〜世界246ヶ国(旧206ヶ国)&旅と暮らし ≫ 東アジア写真館 【世界遺産】 モンゴル国 オルホン渓谷の文化的景観(2004年登録) UNESCO World Heritage Centre ≫ Orkhon Valley Cultural Landscape (英語) オルホン渓谷 - Wikipedia モンゴル国/ロシア連邦 ウヴス・ヌール盆地(2003年登録) UNESCO World Heritage Centre ≫ Uvs Nuur Basin (英語) ウヴス・ヌール - Wikipedia 【 歴 史 】 ・19世紀、外モンゴル・内モンゴルともに、清朝の支配下にあった。 ・1911年に中国で辛亥革命が起こると、ロシアに援助を求めていたハルハ地方(外モンゴルの多くの地域)の王侯たちは、清から独立を宣言した。化身ラマ(活仏)のジェプツンダンバ・ホトクト8世をモンゴル国の君主(ボグド・ハーン)としてボグド・ハーン政権を樹立し、モンゴル国を称した。 ・1913年、モンゴル軍が内モンゴルへ進入し、ほぼ全域から中華民国軍を追放したが、帝政ロシアが中華民国へ配慮して介入し撤退を要求、撤収を余儀なくされて解放戦争は失敗した。 ・1915年、中国の宗主権下での外モンゴルの自治が、中華民国とロシアによって認められた。(キャフタ条約) ・1917年にロシア革命が起こると、中華民国は1919年に外モンゴルを占領し自治を撤廃した。 ・1920年10月、ロシアの赤軍(革命軍)と戦っていた白軍(反革命軍)のロマン・ウンゲルンは、戦況が不利になるとモンゴルへと侵入して中国軍を駆逐してボグド・ハーン政権を復興させた。 ・ウンゲルンの残虐な行動に人心が離反し、民族主義者と社会主義者らによって結成されたモンゴル人民党(後のモンゴル人民革命党)はソビエトに援助を求め、赤軍や極東共和国軍がモンゴルに介入した。(注:「極東共和国」は、ソビエトが日本のシベリア出兵に対峙すべく建国した極東の緩衝国家で、1920年3月7日〜1922年11月19日まで存在した。) ・こうして、1920年7月にモンゴル人民政府が樹立された。ジェプツンタンパ8世をそのまま君主とする、立憲君主制である。 ・1924年にジェプツンタンパ8世の死去すると、人民共和国へと政体を変更し、モンゴル人民共和国(社会主義国)が成立した。以後、中ソ対立以後も徹底した親ソ政権が続いた。 ・1929年〜1932年には、厳しい宗教弾圧と急進的な社会主義政策が行われ、各地で国民の約45%が参加した暴動が発生、多くのチベット仏教僧、富裕遊牧民が暴動の指導者として虐殺された。 ・1936年にチョイバルサンが首長になると、1937年から800の修道院が破壊され約17,000名の僧侶が処刑された。さらに同1937年、大規模なソ連軍が進駐すると、政府・軍部高官・財界首脳等57,000人が逮捕され20,000人が処刑された。 ・1939年、ノモンハン事件(ハルハ河戦争)。日本軍・満州国軍とモンゴル人民軍・ソ連赤軍連合軍とが軍事衝突した。 ・1990年春、一党独裁を放棄。 ・1992年、モンゴル人民共和国からモンゴル国へ改称、新憲法を制定し、社会主義を完全に放棄した。 モンゴル国 - Wikipedia 「歴史」の項 モンゴル - Wikipedia 「歴史」の項 ピース ウィンズ・ジャパン ≫ 支援地域を知る ≫ モンゴル ≫ モンゴルの歴史 更新 2012/9/10 |