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東ティモール民主共和国


【 国 】
 東ティモール民主共和国(The Democratic Republic of Timor-Leste)

LINK 東ティモール - Wikipedia
LINK 日本政府外務省各国・地域情勢東ティモール民主共和国基礎データ




【LINK】
LINK YouTube ≫ 白人は人間ではない(前編):高山正之 〜ジョゼ・ラモス=オルタが受賞したノーベル平和賞について
LINK 自衛隊東ティモール派遣 - Wikipedia

LINK トリップアドバイザー東ティモールの旅行ガイド
LINK 旅して東南アジア写真館東チモール写真館
LINK ピース ウィンズ・ジャパン東ティモールについて知る
LINK シェア=国際保健協力市民の会東ティモール東ティモール便り



【世界遺産】

(登録なし)




【 歴 史 】
LINK 東ティモール - Wikipedia 「歴史」の項
LINK 東ティモール紛争 - Wikipedia
LINK ピース ウィンズ・ジャパン東ティモールについて知る東ティモールの歴史
LINK サンタクルス事件 - Wikipedia

・16世紀、ティモール島がポルトガルの植民地に。
・その後オランダが進出し、一時はポルトガルがこれを撃退。
・1859年、ティモール島は東西に分割され、西ティモールはオランダ領に。
・1911年〜1912年、収奪の厳しさに耐えかねて反乱が発生。戦死者3424人、負傷者1万2567人。
・1959年、ピケケ県知事誘拐・蜂起事件。150人の死者が出たとの説もある。
・第二次世界大戦時、ポルトガルは中立を守ったが、オランダ軍とオーストラリア軍が保護占領し、その後日本軍が占領した。
・日本の敗戦後、オーストラリア軍の進駐を経て、ポルトガルの支配が復活。
・1949年、西ティモールはインドネシアの一部として独立が確定したが、東ティモールはポルトガルの支配が継続。
・1974年、ポルトガルでカーネーション革命が起こり、植民地維持を掲げる保守政権が崩壊。
・東ティモールでも独立への動きが加速、左翼革命政党を含む3つの政党が旗揚げ。
・1975年、右派勢力と連携するインドネシアが東ティモールに侵攻。
・インドネシアのスハルト政権は、抵抗勢力を激しく弾圧。占領直後から1980年代までに、殺戮や飢餓により命を落とした東ティモール人は20万人にのぼると言われている。
・1991年、サンタクルス事件。平和的なデモ隊にインドネシア軍が発砲し、400人近くを殺害。
・1996年、現地カトリック教会のベロ司教と、独立運動家のジョゼ・ラモス=オルタに、ノーベル平和賞が贈られた。
・1998年、インドネシアの民主化運動でスハルト政権が崩壊。後任のハビビ大統領は、特別自治権の付与を問う住民投票を実施する事で、旧宗主国のポルトガルと同意した。
・1999年8月30日、国連のミッショとして住民投票が行われ、独立賛成派が圧勝。これを不服とする反対派民兵らが住民を襲撃し町を破壊した。オーストラリア軍を主力とする多国籍軍が派遣されて、暴力行為は収拾したが、多くの難民が西ティモールに逃れ、あるいは強制的に連れ去られたりした。
・1999年10月、国際連合東ティモール暫定行政機構 (UNTAET) が設立された。
・2002年5月20日に独立。(大統領シャナナ・グスマン、首相マリ・アルカティリ。)
・2006年4月、待遇改善と差別の廃止を求めて軍人がストライキを実施、5月下旬には武装蜂起となった。警察や国軍の一部が蜂起に同調、警察官の職務放棄、若者を中心に暴徒化、ディリは混乱に陥った。治安を維持できない政府は、5月24日にオーストラリア・マレーシア・ニュージーランド・ポルトガルに治安維持軍の派遣を要請、その後4カ国による治安維持が行われた。






更新 2013/1/16

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