・筑波鉄道の車輌たち
ここでは、筑波鉄道最晩年に在籍していた車輌を紹介します。写真自体が古く、また小生自身カメラを
始めて間もない頃の写真のため、かなりお見苦しい画像もあるかもしれませんが、お許し下さい。
- キハ500形(キハ503)
昭和34年(1959)10月、日本車輌にて新製された車輌で、新製時から総括制御車として登場。
それまでの車輌に対してかなり画期的であり、在来車の総括制御車化の推進役を務めた。
同時に新製されたキハ504形とは兄弟車であり、違いは台車でありキハ500形はコイルバネ
台車である。新製時は、キハ503,504,505として登場したが、入線後すぐにキハ504,505と
キハ501,502の車番が入れ替わりこちらがキハ500形となった。キハ501,502は、昭和38年
(1963)2月常総線へ転籍。
全長18,100mmx全幅2,860mmx全高3,845mm 自重27.6t 機関DMH-17H(180HP/1,500RPM)
- キハ504形(キハ504,505)
昭和34年(1959)10月、キハ500形と同時に新製された車輌で、こちらは空気バネ台車が採用
されたタイプ。新製当初は、こちらがキハ501,502とされていたが、入線と共にキハ504,505と
なった。
全長18,100mmx全幅2,860mmx全高3,845mm 自重27.6t 機関DMH-17H(180HP/1,500RPM)
- キハ820形(キハ821)
昭和54年(1979)6月、国鉄(現JR)より譲渡された元キハ10 47である。昭和31年(1956)10月
帝国車輌で新製され、新製当初はキハ48146となっており、昭和32年の称号変更でキハ1047と
なった。その後、昭和54年1月31日付で廃車となり、筑波鉄道へ譲渡と至った。譲渡後もほぼ
キハ10形のままの姿で筑波線を走っていた。
全長20,000mmx全幅2,728mmx全高3,710mm 自重30.0t 機関DMH-17B(180HP/1,500RPM)
- キハ300形(キハ301)
廃線の前年、昭和61年(1986)7月に国鉄から譲渡された元キハ30 16(昭和39年(1964)日本車輌製)
である。前面の行先表示器が撤去された以外はほぼ原形をとどめていた。筑波鉄道廃線後は、関東
鉄道常総線に譲渡された。
全長20,000mmx全幅2,928mmx全高3,945mm 自重34.0t 機関DMH-17C(180HP/1,500RPM)
- キハ760形(キハ761,762,763)
元雄別鉄道(北海道 昭和45年4月15日廃止)の車輌で昭和45年(1970)12月に譲渡された。雄別
鉄道時代は、キハ49200Y1〜Y3と称し、昭和32年7月、新潟鉄工所で新製された。バス窓が特徴の
国鉄キハ21形とほぼ同じ形態であるが(製造もほぼ同時期)、台車は菱枠形のNH38と異なっている。
全長20,000mmx全幅2,915mmx全高3,885mm 自重32.0t 機関DMH-17BX(180HP/1,500RPM)
キハ763のみ 機関DMH-17B1(180HP/1,500RPM)
- キハ810形(キハ811,812)
キハ760形と同様称は45年(1970)12月に雄別鉄道から譲渡された車輌である。雄別鉄道時代は、
キハ104,105と称しており、昭和37年(1962)4月(キハ812は同年12月)に新潟鉄工所で新製された。
車輌形態は、バス窓に菱枠形台車のキハ760形に対し1段窓に国鉄DT22と同型にウィングバネ台車
となっている。キハ812は、踏切事故により昭和61年9月に一足先に廃車となった。
全長20,000mmx全幅2,915mmx全高3,885mm 自重31.0t 機関DMH-17B(180HP/1,500RPM)
- キハ510形(キハ511)
昭和45年(1970)4月に江若鉄道(滋賀県 昭和44年11月1日廃止)より譲渡された車輌で、当初は
常総線に配置されていたが、昭和46年3月筑波線へ移動。関東鉄道との分割後は、関東鉄道竜ヶ崎
線に配置される予定であったが、そのまま昭和56年7月に筑波鉄道へ譲渡される形となった。
キハ511は、昭和38年7月に大鉄車輌で新製され江若鉄道時代は、キハ30→キハ5120と車番を
変えていた。なお、キハ511は後に説明するキクハ11に次いで2代目である。
全長18,300mmx全幅2,732mmx全高3,840mm 自重29.0t 機関DMH-17BX(180HP/1,500RPM)
- キクハ10形(キクハ11)
昭和32年(1957)11月、日本車輌にて新製された車輌で、その名の示すとおり機関を持たない
付随車である。新製時はホハ1001と呼ばれ、翌33年キサハ53と改番された。さらに昭和35年
11月に日野DS40B2ディーゼル機関が載せられると同時に運転台が新設され、キハ511となった。
しかし、昭和45年12月、ディーゼル機関が外され再び付随車となりキクハ11となった。
新製当初は常総線に在籍したが昭和53年12月に筑波線へ転籍された。筑波鉄道の晩年は、
ほとんど活躍の場が無く廃車同然であった。
全長16,990mx全幅2,740mmx全高3,770mm 自重21.0t 機関無し
- キハ540形(キハ541)
昭和47年(1972)11月に北陸鉄道(石川県 昭和47年6月24日廃止)から譲渡された車輌で、張り
上げ屋根にバケット付きという姿は関東鉄道グループで最も風変わりな車輌であった。昭和32年
(1957)8月、日本車輌で新製され当初はコハフ5301とされていた。 北陸鉄道能登線唯一の総括
制御車であったが、他車が総括制御車じゃなかったため、その機能は発揮されなかった。筑波鉄道
最晩年は、活躍の場を失い休車扱いであった。
全長17,320mmx全幅2,710mmx全高3,605mm 自重25.0t 機関DMF-13C(140HP/1,500RPM)
- キハ460形(キハ461)
元国鉄のキハ04形で、私鉄2社を渡り歩いた後、昭和47年(1972)年11月にキハ462と共に、関東
鉄道に譲渡された。昭和9年(1934)1月川崎車輌にて新製され、新製当時はキハ41056(キハ41000
形)と称され昭和32年の称号改正でキハ048となった。昭和33年1月に廃車となった後は、同年8月
遠州鉄道(静岡県 昭和41年9月30日廃止)に譲渡された。その後、同鉄道廃止と共に昭和42年
北陸鉄道能登線へ譲渡され、同線廃止を経て関東鉄道へ譲渡された。キハ04の原型をとどめ貴重な
存在であったがキハ462は昭和56年に廃車となりキハ461も晩年は休車となっていた。なお、同線
廃止後はつくば市さくら交通公園において静態保存され、その姿を現在でも見ることができる。
全長16,220mmx全幅2,709mmx全高3,675mm 自重22.4t 機関DMF-13C(140HP/1,500RPM)
- DD501形(DD501)
昭和29年(1964)6月に新三菱重工三原製作所で新製されたセンターキャブのディーゼル機関車
で、当初は常総線に配置され昭和48年3月に筑波線へ移籍された。車軸配置はB-Bで駆動方式は
ロッド式である。貨物営業廃止後は、筑波山への観光列車として常磐線から直接乗り入れる臨時
「つくば号」の牽引などを勤めた。
全長10,850mmx全幅2,740mmx全高3,881mm 自重36.0t 機関DEL+DE2L(175HP/1,500RPMx2)
- トラ100形(トラ104,105)
バラスト散布用の無蓋貨車で昭和51年(1976)6月に秩父鉄道から譲渡された。昭和32年(1957)
7月製で秩父鉄道時代は、トラ3500形とされていた。
全長8,100mmx全幅2,740mmx全高2,370mm 自重8.8t
メインに戻る。