長岡鉄道

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。 (寺泊区間、廃線跡)
                                             

寺 泊 駅
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寺泊温泉駅
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寺泊海水浴駅
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金 山 駅(臨)
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寺泊新道駅
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法 崎 駅
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大 河 津 駅
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大河津分水駅
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町 軽 井 駅
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岩 方 駅
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与 板 駅
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上 与 板 駅
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槙 原 駅
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越後大津駅
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脇 野 町 駅
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王 寺 川 駅
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越後日吉駅
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越後関原駅
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上 除 駅
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日 越 駅
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西中学校前駅
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西 長 岡 駅
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有 栗 駅
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才 津 駅
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上 富 岡 駅
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深 沢 駅
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来 迎 寺 駅
廃線跡ページ入口

新潟県の廃線跡/長岡線60年の歩み/ふるさとたより/地域の人達の話、など参考にさせていただきました)

(写真は2007/1月撮影、線路跡は築堤、レール、枕木、小鉄橋もまだまだ残っています)

長岡鉄道 −−> 越後交通長岡線

人や物資の流れが活発になり信濃川での川船運搬、街道では人馬の中、
高速大量輸送の必要な時代と入って行く。
大正に入り地方でも鉄道会社が設立された。
大正10年、来迎寺〜西長岡〜与板〜寺泊と全線電化で開通された。
しかし西長岡から信濃川に鉄橋を架け国鉄長岡駅へと接続する計画であったらしいが
建設費が確保できず、長岡中心部への乗り入れは実現できなかった。
そのため来迎寺−西長岡と西長岡−寺泊へと路線は、スイッチバック線形となる。
長岡中心部へは西長岡からバスで乗り入れた。
魚の行商の人達も早くから乗り込み与板、長岡へと向った。
昭和30年代の夏、寺泊方面の電車は臨時列車も出て海水浴客でにぎわっていた。
昭和35年、栃尾鉄道、中越自動車、長岡鉄道が合併し越後交通株式会社が誕生した。
社長は、あの田中角栄さんである。
長岡鉄道は越後交通長岡線となった。
その翌年、水害により寺泊新道−金山間で土砂崩れ不通、休止となった。
そのまま昭和41年、寺泊新道−寺泊が廃止。各区間もしだいに廃止となり昭和50年
全線旅客営業は廃止となった。

1914年  長岡鉄道が設立
1915年  与板〜寺泊が開通
1916年  西長岡〜与板が開通
1921年  来迎寺〜西長岡開通で全線開通
1960年  栃尾鉄道、中越自動車、長岡鉄道の3社が合併で
        越後交通株式会社が誕生。越後交通長岡線となる
1961年  水害被害
1966年  寺泊新道〜寺泊区間が廃止。寺泊新道駅が寺泊駅に改名
1973年  大河津〜寺泊区間が廃止。バス路になる
        (廃止前の寺泊−西長岡区間運賃は300円)
1975年  大河津〜西長岡区間廃止で全線旅客営業廃止
1995年  来迎寺〜西長岡、貨物営業廃止で全線廃止。

                               路線距離 39.2km
                               軌 間   1067mm
                               駅 数   27駅
                               全線単線/電化直流1500V