平成 9年 1月26日 高倉公民館 動の部発表会 面芝居より
天 王 さ ま の 由 来 台本へ
語り 昔、家々に神棚を祀り始めた頃、伊勢参りに行った重郎衛門らは、その帰り路
毎年、ダイジゴ様の御符を届けにやってくる尾張の津島お師の招きで、上方の
祭りをとっくりと見物して帰ってきた。面白ろかったなぁ、こてえさんないなぁ。
重郎衛門 「 やあ、みんな居たかい、今けえった。まあ、土産ばなしもいろいろ、 」
「 なんだがよう。実ぁな、上方でなあ、面しれえ天王さまのなあ 」
「 まちゅう見て来たあ。神様ぁ担いでなあテエコをハテエテよ 」
「 村中ぅもんでよ。そりゃあ、なかなか面白えもんだったあ。 」
「 どうだい、おらあ方でも、やってんべえじゃあねえか。 」
皆の衆 「 うーん、やってんべえ、やってんべえ。じゃあ、支度だあ、支度だあ。 」
語り 上方で行われていたまつりをまねて、村中総出で、神様に見立てた檜の枝葉を
担ぎ、太鼓を叩き、御輿のように村中をもんで練り歩き、大いに楽しみました。
皆の衆 「 ああ、面白かったーー。面白かったーーー。くたびれた。くたびれた。 」
語り こうして、祭りが終わり神に見立てた檜の枝葉を高倉小学校裏の西の沢の谷へ
投げ捨ててしまった。すると、たたりか、皆はひどい熱病におかされてしまった。
数日後、重郎衛門の夢枕に、八束の髭をはやした大きな男神が現れた。
男神 「 われは、天王神だが、祭りをしてくれてうれしかった。しかし、その後、ハケ 」
「 の下へ投げ捨てられ、とても苦しんでおる。すまないが拾い上げて、どこか 」
「 高い所へ祀ってもらいたい。 」
語り ハッと我に帰った重郎衛門は、このことを皆に告げた。皆苦しいなかを立ち上がり
谷から神を拾い上げた。そして、ハセミ山の東に祠を立てて熱病退散を祈った。
すると不思議、たちどころに全快して皆元気を取り戻した。そして、その祠を祀った
天王山の八坂神社は、明治の初め、高倉の氷川神社へ合社され、当社から村回
りをするようになり、その賑わいは、高倉天王黒須マチと謡われ、夏病み除けに、
霊験あらたかと、広く信仰を集めた。なお、入間市指定無形民俗文化財高倉祇園
太鼓は、その大太鼓の銘文に、文化12年と今から180年以上も昔に張り替えら
れ、制作は、江戸城御用太鼓師 藤本伊兵衛と記され、当地高倉の誇りとする名
太鼓であり。現在まで、むかしばなしと共に守り受け継がれております。