(20) 動機づけは教師の知恵である


しばらく、お休みをいただきお詫びいたします。申し訳ありませんでした。

お休みの間にも、われわれを取り巻く環境が、国内外ともに大きく動きつつあります。イラク問題と国連の動き、常任理事国と非常任理事国の思惑、対立、など目を離せない問題であります。
 また近くて遠い国と云われる北朝鮮が、核開発をカードに緊張を高めつつ近隣諸国に脅威を与えているが、何を考えているのか解らないところに不気味さを感じます。
国内にあっては、リストラが日常化し完全失業率もいっこうに改善されず、株価も一時は8000円を割り景気は最悪のシナリオを描いている。国民の負託を担う、国会議員や官僚の犯罪、秘書までも右に倣えである。安部さん!!明日の、日本を背負うであろう子供たちは、何をお手本に道徳を学べば良いのか?。まさか、『反面教師として学べ!』と云うのではないでしょうね。

話を本題に戻そう。
教師に求められる、子供たちへの動気づけが必要なことは解るのだが・・・と誰もが云うのである。ここに問題がある。一例を挙げれば、週5日の授業で学力の低下は否めない事実となってしまった。学力の高い子と低い子の二極化、と表現する某評教育論家もいるが、あながち誇張とは云えないだろう。
かと云って、教師が楽になったどころか如何にして、今まで以上に授業へ興味を持たせるか腐心しているのが実情と云える。
こうした中で全ての学校が、為す術を失っているのではない。かなりの学校で、興味を持って授業に参画できるカリキュラムを作り成功している例も多い。そこに共通して見られるのは、熱心な教師の知恵が活かされていることである。

A.オズボーンはその著書『創造力を活かす』のなかで次のように記している。
シェラザードの物語の一つに“アラジンの魔法のランプ”があるが、われわれ現代人にとってアラジン魔法のランプは創造力にほかならない。われわれは、それぞれがアラジンのランプを持っており、それを正しく擦ることによって、さまざまな問題が解決できることを忘れてはならない。

しからば、動気づけにおけるアラジンのランプはなにか。それは教師の知恵にほかならないと思う。
前に述べたように、われわれの持つ知識は、そのままでは静止の状態であって、これを意識化しはじめて能動的なものになる。
いま教師に大切なのは、自身のの持つランプを正しく擦ることである。そうすればこのことだけでも、われわれの授業は、より創造的なものになるのではあるまいか?。
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