山形 明郷著『邪馬台国論争・終結宣言』


17)李 鐘恒(イ チョンハン)元・韓国国民大学学長
                      『古代韓国と倭の豪族』より

   前項16)に引き続き、<「倭」が即古代「日本」のことではない>とい
  う、現在の我が国古代史学界の大前提たる「定説」を全面的に覆(くつが
  え)してしまう、「最重要事項であるこの大命題」について、当『邪馬台
    国論争・終結宣言』より、以下そのまま転載いたします。



         
【     元・韓国国民大学学長 李 鐘恒(イ チョンハン)氏は
   『古代韓国と倭の豪族』の中で次の如く謂(い)う。


        「  倭といえば、すぐそれは日本列島内の住民で、大和政権下にある
     人達であると考えるのが常識になっている。
     この常識は新羅(しんら)の統一以後は正しい。

     然(しか)し、紀元前後から六世紀中頃までは、この常識は通じな
     いばかりでなく間違いである。

     倭人は韓半島の南部、即(すなわ)ち慶尚南道(けいしょうなんど
     う)の海岸地帯から、全羅南北道(ぜんらなんぽくどう)の広範な
     地域にわたって住んでいた在地原住民である。

     これら倭人の居住地は非常に広く、彼らの数を全部集めたなら厖大
     (ぼうだい)なものになったものと思われる。   」

 
        李(イ)教授は六世紀以前の「倭・倭人」を指(さ)して「在地原住
   民」、或(あるい)は「土着せる倭という名の朝鮮人」と指摘している。
    

     このような指摘は、今日(こんにち)現在我が国で固定化され、且
   (か)つ常識とされていた説を大きく揺るがす存在で、我が国の史家や
   研究家などとは雲泥の差ある卓見(たくけん)と云えよう。

        「倭」を「古代日本」に、亦(また)、「邪馬台」を「大和朝廷」の
    前身と言うことで、矢鱈(やたら)に囂(かまびす)しい論議を展開さ
   せている向(むき)は、抑々(そもそも)が「倭」という総体的な輪郭
   の把握が出来損(そこ)ねているからである。             】
                                               


      16)17)と続け、我々の教え・教わっている「倭」についての常識的な
    「大前提であるはずの定説」が、根本的・致命的に間違ってしまっている
  ことを日韓の両・碩学(せきがく)は、簡潔な文章で的確に伝えておりま
  す。

      しかし、残念ながら、我が国のほとんど全ての歴史学者・歴史マニア・
  マスコミ関係の人達が、「魏志倭人伝・二千文字」に拘泥(こうでい)・
  固執し続け、固定化してしまっている<「倭」イコール「日本」であると
  いう頑迷固陋(ころう)な「定説」>の呪縛から未だ目覚めることが出来
  ず、惰眠をむさぼっているのが現状である。
  

    このデッド・ロックに対し、巨大な警鐘を鳴らし、惰眠からの覚醒を促
  し「東アジア」のそして無論「日本」の《正しき古代史像》を正確に方向
  付け、且つ、再構築することが、当『邪馬台国論争・終結宣言』の著者、
  山形明郷氏の本来の使命であると言えましょう。 



   三百年前に、「魏志倭人伝」が日本の歴史書であると初めて断定したの
  は江戸期の「儒学者」であった。
  この時、「魏志倭人伝」の信憑性は、何ら検証されることはなかった。

   三百年後に、その「魏志倭人伝」の信憑性たるやいかにお粗末であるか、
   「儒学者」の怠った検証を、古代東アジア史の第一歩である「古代朝鮮の
    所在地」の解明から、徹底的に検証し直して、
   「魏志倭人伝」が《100%日本の歴史書でない》と世界・本邦で初めて断定
    したのは、当『邪馬台国論争・終結宣言』の著者、山形明郷氏であった。


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