三高歌集

寮歌(春東山の)

大正四年  辻村三郎 作詞 作曲

現在Realplayer(無料)をダウンロード後インストール(Netscapeなら\Netscape\Communicator\Program\Pluginsに)されますと、Realplayer が組み込まれます。三高の旗をクリックして、お待ち下さい(Java起動に1〜2分かかります)。realの画面がでましたら左側の三角をクリックしてください。もちろんRealplayer plusでも歌が流れます。最新のRealplayerは音質が大変よくなりました。


春、東山の花に酔ひ
秋、清谷の香に迷ふ
古都よ醒めよと暁鐘を
握りて立てる神陵兒
響けよ、世を醒ませよ
自由の鐘よ
守れよ、世に誇れよ
自由の鐘を


はるとうざんの はなによい
あきせいこくの かにまよう
ことよさめよと ぎょうしょうを
にぎりてたてる しんりょうじ
ひびけよ よをさませよ
じゆうのかねよ
まもれよ よにほこれよ
じゆうのかねを


花、嵐峡の靉靆に
月、嵯峨の野の玲瓏に
理想の光映ゆる時
希望は胸にみなぎりぬ
輝け、世を照らせよ
理想の光
守れよ、世に誇れよ
自由の理想

はならんきょうの あいたいに
つきさがののの れいろうに
りそうのひかり はゆるとき
きぼうはむねに みなぎりぬ
かがやけ よをてらせよ
りそうのひかり
まもれよ よにほこれよ
じゆうのりそう


クロバーの芝生に友と踞し
如意の高嶺を仰ぎつゝ
真理と未来を語る時
友情清く溶け出づる
かたくも、濃く結べよ
久遠の信を
守れよ、寮の光輝を
自由の友よ

くろばーのしばふに ともときょし
にょいのたかねを あおぎつつ
しんりとみらいを かたるとき
かたくも こくむすべよ
くおんのしんを
まもれよ りょうのこうきを
じゆうのともよ


東に聳ゆる比叡の嶽
西に流るゝ加茂の水
嶽と水との氣の凝りて
爛漫咲ける花を見よ
歌へよ、世に誇れよ
自由の花を
守れよ朝日に照る
自由の花を

ひがしにそびゆる ひえのやま
にしにながるる かものみず
がくとすいとの きのこりて
らんまんさける はなをみよ
うたえよ よにほこれよ
じゆうのはなを
まもれよ あさひにてる
じゆうのはなを


是れ先人が守り來し
學と自由の不羈の城
獨立自由の剣取りて
神陵の子よ奮ひ立て
ひらめけ山櫻の
自由の旗よ
守れよ、世にほこれよ
自由の旗を

これせんじんが まもりきし
がくとじゆうの ふきのしろ
どくりつじゆうの けんとりて
しんりょうのこよ ふるいたて
ひらめけ やまざくらの
じゆうのはたよ
まもれよ よにほこれよ
じゆうのはたを

★ 作詞・作曲の辻村三郎の読みについてお孫さんから次のメールをいただいた。辻村三郎はツジムラ ミツオと読むのが正しいとのことです。



         はじめまして、突然メールを差し上げます。

         先日母から譲り受けた古いものを整理しておりましたら、三高の旗を染めた手ぬぐいが出てまいりました。
         聞くところによりますと、母の父(つまり私の祖父)の記念に持っていたようです。

         以前何度か、祖父が三高の寮歌を作ったと聞いておりましたので、思い立ってインターネットで検索した結果、
         貴ページにたどり着きました。
         祖父は、母がまだ幼いころに病のため亡くなり、私にとっては、一枚の写真と、幼かった母のわずかな思い出話の中でしか
         知ることができません。
         それで、祖父の作った寮歌とはいったいどのようなものなのか、知りたかったのです。「寮歌は生きている」という本もいえにあり、
        「これがお爺様の作られた歌よ」
         と楽譜を見せてもらった記憶はありますが、今回、同窓生の皆様の歌声を聞かせていただき、なるほど、こういうものだったのか、
         と感慨ひとしおでした。
         どうもありがとうございます。

         ところで、この、祖父の作った歌「春東山の花に酔い」(大正6年寮歌)の作詞作曲者「辻村三郎」は、少々変わった読み方で「ツジムラ ミツオ」と
     読むのが正しいそうです。
         ご都合のよろしいときに、ご訂正いただければ幸いです。

         現在母とは離れて暮らしていますが、この次の機会にはぜひ、このページで祖父の歌を聞かせたいと思います。
         きっと喜ぶと思います。

          このようなページを作っていただいて、本当にありがとうございます。どうぞ、お元気でお続けくださいますように。
                                                                             
                                             辻村三郎 孫 木立子 
★私が底本とした三高歌集創立九十五周年記念(1964)(18−19頁)には、この歌の作曲された年は大正六年になっているが、岩辻堅一郎氏から「辻村さんの卒業は大正六年ですが、
作歌は大正四年です。手元の大正四年版『三高歌集』(62−63頁)にすでに掲載されています」とご連絡くださったのでそれに従った。

★同窓会の
海堀理事の話では宮崎県の延岡中学(現高校)の寮歌にこの歌を使ったものがあるということです。

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