2009年秋、昭和20年三高理甲卒業の柳田 節さんから編者宛に寮歌集に悲歌がのせられているが、大変好きな歌であったので「三高私説」で聴けるようにして欲しいという依頼があった。しかし、私が音源とした同窓会会員有志による合唱には収録されていなかったので、ご希望には添えなかった。
その後柳田さんから1998年刊の三高歌集には楽譜が載っているとそのコピーを送ってくださった。左に載せたのがそれである。私が底本とした創立九十五周年記念「三高歌集」(1964)には楽譜は載っていなかった。
作曲者伊部利秋さんは文丙昭和22年卒であるが、この曲は、昭和19年に作曲されている。柳田さんは在学中でいわば新曲として歌っておられたのであろう。私はこの「昭和19年」という年に特別な関心を揺り起こされた。なぜならこの年は終戦の前年であり、緊張した世情の中ですでに出陣学徒壮行会が前年昭和18年に明治神宮外苑競技場で催されており、文丙に在籍されていた伊部さんなどはいつなんどき召集がかかるか分からない状況であったと思われる。そういう時期に10年前の昭和9年に作詞された「悲歌」をテキストとして選び、それに譜をつけようとした当時の生徒の心境が、この曲におそらく読み取れると思うのである。
記憶では私の在学した敗戦直後の三高では、この歌は歌われも聴かれもしなかった。
ところで、この楽譜を見てみると少し問題があり、少し手を加えた上で曲も聴きたかったのでMIDIで演奏してみた。
(A)(B)二通り試みたので両方とも提示しておく。
(A)