三高歌集

悲 歌(荒磯が砂に)

昭和九年   松本 重徳 作詞
昭和十九年 伊部 利秋 作曲


荒磯が砂に雪残る
越路を指せる雁がねの
道行きぶりに春帰る
都の山の稚児桜  


ありそがすなにゆきのこる
こしぢをさせるかりがねの
みちゆきぶりにはるかえる
みやこのやまのちござくら  


アクロポリスの丘の上に
今燃え出づる焔かな
悠久祈願の姿なる
星斗は遠く美はしき

あくろぽりすのおかのえに
いまもえいづるほのおかな
ゆうきゅうきがんのすがたなる
せいとはとおくうるわしき


蘆管に尽きぬ逍遙に
古塔の影は遠くして
汀に映る紅葉
逢塞雁の聲哀し

ろかんにつきぬしょうように
ことうのかげはとおくして
みぎわにうつるくれないば
ほうさいかりのこえかなし


輪奐廻る平安の
蘭麝の香闌けし夜に
悲音も長き朔風の
雪を誘ふ賀茂河原

りんかんめぐるへいあんの
らんじゃのかおりたけしよに
ひおんもながきさくふうの
ゆきをいざのうかもがわら


勾踐城の夏の草
姑蘇台上の冬の霜
天上北の星澄みて
古城に悲笳の響あり

こうせんじょうのなつのくさ
こそだいじょうのふゆのしも
てんじょうきたのほしすみて
こじょうにひかのひびきあり


霙す一夜藺萎えて
歌は血をはくほととぎす
葷酒匂へる山門に
高者の法を誰か説く

みぞれすいちやいなえて
うたはちをはくほととぎす
くんしゅにおえるさんもんに
こうじゃののりをたれかとく


九天花の夢濃きも
蜉蝣の影は淡くして
微吟の行方包みたる
丘の夕の霧

きゅうてんはなのゆめこきも
ふゆうのかげはあわくして
びぎんのゆくえつつみたる
ほくぼうおかのゆうのきり


秋の萩原すがる鳴く
旅行く人の愁こそ
今彷徨ひし花の野に
桐の葉は逝く悲歌の宴

あきのはぎわらすがるなく
たびゆくひとのうれいこそ
いまさまよいしはなののに
きりのははゆくひかのえん

2009年秋、昭和20年三高理甲卒業の柳田 節さんから編者宛に寮歌集に悲歌がのせられているが、大変好きな歌であったので「三高私説」で聴けるようにして欲しいという依頼があった。しかし、私が音源とした同窓会会員有志による合唱には収録されていなかったので、ご希望には添えなかった。
その後柳田さんから1998年刊の三高歌集には楽譜が載っているとそのコピーを送ってくださった。左に載せたのがそれである。私が底本とした創立九十五周年記念「三高歌集」(1964)には楽譜は載っていなかった。
作曲者伊部利秋さんは文丙昭和22年卒であるが、この曲は、昭和19年に作曲されている。柳田さんは在学中でいわば新曲として歌っておられたのであろう。

私はこの「昭和19年」という年に特別な関心を揺り起こされた。なぜならこの年は終戦の前年であり、緊張した世情の中ですでに出陣学徒壮行会が前年昭和18年に明治神宮外苑競技場で催されており、文丙に在籍されていた伊部さんなどはいつなんどき召集がかかるか分からない状況であったと思われる。そういう時期に10年前の昭和9年に作詞された「悲歌」をテキストとして選び、それに譜をつけようとした当時の生徒の心境が、この曲におそらく読み取れると思うのである。

記憶では私の在学した敗戦直後の三高では、この歌は歌われも聴かれもしなかった。


ところで、この楽譜を見てみると少し問題があり、少し手を加えた上で曲も聴きたかったのでMIDIで演奏してみた。
(A)(B)二通り試みたので両方とも提示しておく。

(A)

(B)


それぞれのスターターの部をクリックしてみてください(IEでは右クリックして「real player で再生」を選んでおいてください)。生徒が歌っていた当時(A)(B)どちらが実際の歌い方に近かったかご教示願えると嬉しい。ご意見歓迎(tbc00346@mth.biglobe.ne.jp宛)。

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