三高歌集

覚醒の歌

明治三十八年  澤村胡夷 作・小野秀雄 補  K・Y 作曲

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血は青壮の脈管に湧き
肉双腕に躍るかな
春酔狂の肱枕
七百の夢破る可く
嗚呼かゝげたる覚醒の
光を浴びて覚醒めずや


ちは せいそうの くだにわき
にくもろうでに おどるかな
はる すいきょうの ひじまくら
しちひゃくのゆめ やぶるべく
ああ かかげたる かくせいの
ひかりをあびて めざめずや


それ頑迷は鐵拳の
血汐降らして砕く可く
それ老朽は照闇の
炬火に投じて焼去らん
咄、何眠る七百の
我健児の寂寞ぞ

それ がんめいは てっけんの
ちしおふらして くだくべく
それ ろうきゅうは しょうあんの
きょかにとうじて やきさらん
とつ なにねむる しちひゃくの
わが こんでいの せきばくぞ


浅間に上る火の柱
蒼空こがす様を見よ
星漢雲におののきて
深くひそめる其下に
自由の野邊に花咲きて
希望の子等は群れ集ふ

あさまにのぼる ひのはしら
そうくうこがす さまをみよ
せいかん くもに おののきて
ふかく ひそめる そのもとに
じゆうののべに はなさきて
きぼうのこらは むれつどう


熱血すすり若き子が
こゝ叡岳の裾にして
雄心堪へず射部と立ち
先づ高鳴との矢を飛ばし
さて七百の健児が
永き眠りを呼ばん哉

ねっけつすすり わかきこが
ここ えいがくの すそにして
ゆうしんたえず いべとたち
まず たかなりとの やをとばし
さて しちひゃくの こんでいが
ながきねむりを よばんかな


起てよ七百青双の
血よ湧きかへれ朝明に
高くあがれる覚醒の
歌声聞きて目醒めずや
咄、何眠る七百の
我健児の寂寞ぞ

たてよ しちひゃく せいそうの
ちよ わきかえれ あさあけに
たかくあがれる かくせいの
うたごえききて めざめずや
とつ なにねむる しちひゃくの
わが こんでいの せきばくぞ

この歌は十番まであるが二番、五番、十番の終わりはいずれも “咄、何眠る七百の我健児の寂寞ぞ”である。おそらく繰り返すことによって覚醒を促す問いかけを強調したものであろうが、歌うときは冗長を避けて五番までで終わることも多い。この歌は大正11年の金子詮太郎校長排斥運動の時にもよく歌われたようであるが、新しい世への覚醒を促す清新さは、明治末期の作にもかかわらず昭和二十年の敗戦後もよく歌われた。

同窓会報94(2001年)に海堀昶氏が「覚醒の歌と澤村胡夷先輩」を寄せられた。その要点を記すと、この歌は嶽水会雑誌第31号(明治38年5月)に発表された。作者は一世鉄梃とある。この歌は下士官上がりの横暴な体操教師に対する反乱扇動の歌として作られた経緯があって、東京女子大の大嶋知子さんの卒業論文作成調査の中で、作者とされている小野秀雄氏が「この歌は澤村君が作ったのだが、威勢がないので自分が多少手を加えて景気を付けた」と話されている。元来澤村胡夷の作詞であったが、筆名で発表されたものであろう。小野さんは滋賀県立二中、澤村さんは滋賀県立一中の出身で三高で同級生であった。水上部歌「羅綾の衣」は澤村作詞・小野作曲で二人の親密な関係がわかる。海堀氏は覚醒の歌作曲者K・Yと逍遙の歌作曲者k.y. は多分同一人物であろうと推定され、「強いて想像を巡らせば同年の一部法科に在籍した山村孝之祐氏か、二部工科の山脇国馬太氏が該当するのでないかと思われるが、果たして如何」と述べている。この山村あるいは山脇説はその後放棄され、会報99では、吉田恒三説に傾いている。  

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