京がたり:日本再発見 橘木俊詔さんの反骨 明治期の再興に「教育」、京大のDNA 毎日新聞 2013.9.25 東京夕刊 >

◇東大と違う生き方で成功

京都大学に約30年、教員としてお世話になりました。その京都は人口比で見ると、大学、大学生の数が多く教育を大事にする風土があり、学生にとっては住みやすい土地だろうし、教育者である私たちには居心地がいい。それもこれも、京大があるおかげではないかと思っています。

平安時代から約1000年、京都は日本の首都でした。それが明治維新の遷都によって、天皇にくっついて公家もお役人も商人もみんな東京に行ってしまった。明治期、京都は沈滞していきます。何とかしたい、と多くの人が考えたのでしょう。京都を再興する手段に教育が選ばれました。

京大の前身は旧制第三高等学校です。大阪市に開設された第三高等中学校を1889年、土地を提供するからと京都に引っ張ってきたのです。大学となるのは、東京帝国大学に遅れること20年の1897年。初めのころは京都帝国大学も東京帝国大学と肩を並べようとして、中央官庁に人材を送り込もうとがんばりました。ところがうまくいきません。確かにそうですよね。高等文官試験を作るのは東大の先生ですし、東大は官僚の世界をがちっと押さえていますから、入り込む余地がなかった。それで京大は、学問で生きていく道を選んだのです。

東大は法律教育を重視して官僚養成学校になった。京大は法律ではなく、物理とか文学、哲学などの教育と研究に力を入れていきます。日本で初めてノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹氏、さらに朝永振一郎氏、哲学では京都学派の西田幾多郎氏らを輩出。 東大と違う生き方を貫いたことが個性ある大学作りで成功しました。そうした「アンチ東大」の意識を京大にいて強く感じました。東大が「秋入学」を言い出したとき、京大は賛同しませんでした。東大は賛同してほしかったかもしれませんが、京大には東大の言いなりにはならんぞ、という思いがあったと私は見ています。

アンチ東大は「アンチ東京」に通じています。京都発祥の企業は京セラやオムロン、村田製作所とたくさんあります。彼らは決して、本社を東京に移そうとしません。大阪の企業はぽんぽんと東京に行ってしまうのに、です。彼らにすれば競争相手は東京ではない、世界なのでしょう。東京にいて官庁にうるさく言われたくないと思っているように感じます。(同志社大学教授 橘木俊詔)

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