三高歌集

東征歌

昭和八年  野呂達太郎 作詞  篠岡 博 補  宮本正義 作曲

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男子一度誓ひては
勝たずばやまじこの戦
波うつ霊に永劫の
光栄かち得んと燃え立ちし
などて忘れん彼の篝火
あゝ東征の時は来ぬ


だんじ ひとたび ちかいては
かたずばやまじ このいくさ
なみうつれいに えいごうの
はえ かちえんと もえたちし
などてわすれん かのこうか
ああ とうせいの ときはきぬ


惨風我に吹き荒れて
雌伏の涙にがかりき
さはれ血汐は火ともえて
風雲暗し武州原
銀箭空に高鳴りて
東征の師は下されぬ

さんぷう われに ふきあれて
しふくのなみだ にがかりき
さわれ ちしおは ひともえて
ふううん くらし ぶしゅうげん
ぎんせん そらに たかなりて
とうせいのしは くだされぬ


進歩の神は戦闘に
強く生命の駕をかるや
犠牲に狂ふ軍鼓鳴り
赤旗堂々王者の師
戦塵高く空に舞ひ
征途にのぼる我等かな

しんぽのかみは せんとうに
つよく いのちの かをかるや
ぎせいにくるう ぐんこなり
せっき どうどう おうじゃのし
せんじんたかく そらにまい
せいとにのぼる われらかな


去年の追憶はふり捨てん
今天涯に雲さわぎ
征衣はらふや朝あらし
東海旗は白うして
羽檄は送る悲壮の字
あゝ東征の雄圖かな

こぞのおもいは ふりすてん
いま てんがいに くもさわぎ
せいい はろうや あさあらし
とうかい はたは しろうして
うげきはおくる ひそうのじ
ああ とうせいの ゆうとかな

同窓会報7(1955)に作詞者の野呂達太郎氏が自身で書いておられるのを見ると、この歌は応援団が募集したのに応えて応募され、「最初の歌い出しに、結団式の篝火をもってきたのがいいとの理由で当選となり、当時応援団幹部で文乙三年に在学の篠岡博氏が全面的に加筆訂正され、宮本先輩の名曲によって皆に歌われるようになったもの」だということである。東征というのは対一高戦に選手・応援団が上京することで、三高歌集(1964)には他にも大正十二年に庄野・川上両氏による「ああ断腸の血を啜り・・」が収載されている。演奏では「風雲暗し」を「風雲暗き」と歌っているが、作詞者からの申し入れがあって「風雲暗し」に改定したと海堀昶氏から御教示があった。 


東征歌作詞の思い出         野呂達太郎 (津田政男:三高歌集p.245より)

昭和8年は私の入学した年です。

5月1日、待望の紀念祭が終わると、暗くなった校庭に篝火が燃え上がり応援団の結団式でした。団長以下新幹部の紹介に続いて、激励演説が始まり、有志が次々と壇上に上がって勝利への決意を述べ、全員で応援歌を高唱し、何回となくこれらが繰り返される間に、対校戦の興奮は弥が上にも高揚してゆきます。結団式の話は入学前から聞いて居ましたが、自分がその渦中の人となり、覚えたばかりの応援歌を歌ってすっかり感激してしまいました。

その直後、東征応援歌募集の掲示が張り出されたので、結団式の感激をそのまま歌にしたいと思い、闘志満々を表現できそうな漢字を綴り合わせ、篝火、太鼓、赤旗、羽檄(応援団の動員令)などを歌い込んで、歌を書き上げました。だるま写真館にあった応援団行進の写真なども参考となったことを思い出します。試合の際に歌う応援歌というよりも、出陣の歌として、選手推戴式、東征の駅頭、試合開始直前など、東征の節目毎に歌って気勢を上げるような歌にならないものかと思っていましたが、これが当選歌となったのです。

当時文乙3年で応援団幹部であった篠岡氏が、これを校閲され、この校閲について、一度2人で話し合う機会を作って、いろいろと話してくださいました。その時、「何故ここは文字が変わったのですか」などと聞いたことなど思い出しますが、どんなヤリトリだったか、詳しくは覚えて居りません。上級生のこうした配慮について、流石は三高だと嬉しく思った事でした。闘志満々で勝つことのみのみを歌った自称出陣の歌が、東征賛歌のような感じで皆に歌われるような歌詞になったのは篠岡氏の校閲によるものだと思っております。

同窓会に出席してこの歌が歌われるのを聞く度に、50年昔を思い起こして居ります。昭和六十一年三月二日(昭和11・文甲卒)

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