三高歌集

応援歌(闇黒搏つ翼)

大正十年 山口新比古(チカヒコ) 作詞   小山田嘉一 作曲

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闇黒搏つ翼東海に
揺ぎ初めては西の方
都の霞亂さんと
破壊の痛創を癒さんと
雲渦巻きて迫り來る
黙せ嵐の驕慢よ


やみうつ つばさとうかいに
ゆるぎそめては にしのかた
みやこのかすみ みださんと
はえのいたでを いやさんと
くもうずまきて せまりくる
もだせあらしの たかぶりよ


いざ今來れ戰はん
忍びて溢る高潮の
胸に燃ゆるか青焔
ああ威力こそ我にあり
永遠の勝利は我にあり
偉いなるかな我が希望

いざいまきたれ たたかわん
しのびてあふる こうちょうの
むねにもゆるか あおほむら
ああちからこそ われにあり
とわのしょうりは われにあり
おおいなるかな わがのぞみ


見よ天地に春は來て
光は吾の胸を撼る
生命は高く戰慄きぬ
今か鼓の轟響に
力を奮ふ雄叫びに
萬有聲を潜むるよ

みよあめつちに はるはきて
ひかりはわれの むねをゆる
いのちはたかく おののきぬ
いまかつづみの とどろきに
ちからをふるう おたけびに
ばんゆうこえを ひそむるよ


戰疲れ身動がぬ
汝が矛暫し地に伏せて
聞け我があぐる凱歌の
蒼穹遙か反響すを
大地に動搖む呉藍の
狂亂の舞見ずや今

たたかいつかれ みじろがぬ
ながほこしばし ちにふせて
きけわがあぐる かちどきの
おおぞらはるか こだますを
だいちにとよむ くれないの
きょうらんのまい みずやいま

明治39年の第1回戦から大正9年第13回戦迄は毎年4月上旬に対一高戦は行われたが、学制改革により入学式が9月から4月になった。このため対一高戦は8月に変更された。たまたま大正10年は過渡的措置として年2回、第14回戦は1月、第15回戦は8月に行われることになり、第14回戦は1月6日に行われた。第三高等学校野球部神陵倶楽部発行の三高野球部史93頁によると
「この冬の一高戦のために応援歌「闇黒搏つ翼」と「嗚呼東海の敵至る」の2篇と、凱歌「沈む光の永劫に」が作られ、いずれも最後まで熱烈に歌われた」
とある。  また92頁にこの第14回戦で
「5回打席に立って安打2・四球1・敵失で出塁1・打点1・得点2(1回の先取点と延長11回の決勝点)に加えて、盗塁実に4を数え全く無人の野を行くが如く、文字通り攻・守・走における八面六臂の敢闘振りを見れば、島田選手こそ第14回戦の「最高殊勲選手」である。」
と書かれている。島田選手というのは島田叡中堅手のことである。戦中沖縄最後の知事として散った島田叡の慰霊塔を訪ねた海堀昶は「慰霊塔に向かって広場の右側に、島田さんとは三高同期の山口誓子(新比古)の「島の果 世の果 繁るこの丘が」と刻んだ句碑を見いだしてアッと仰天した。初めて知った事である。友を憶い、戦争の惨禍や世の行く末を思う気持ちが、短い五七五の言葉に偲ばれてまた涙がこぼれた。
 山口さんは文乙、島田さんは文丙とクラスは違ったが、両クラスは語学以外には合併授業のケースも多く、友人だったに違いない。そして山口さんは大正十年一月の野球の一高戦に応援歌

            暗黒搏つ翼東海に  揺ぎ初めては西の方
            都の霞乱さんと      破壊の痛傷を癒さんと
         雲渦巻きて迫り来る 黙せ嵐の驕慢よ
                                            (二番以下省略)
を作った。」とある(三高同窓会報101)。

神戸大学の山口誓子記念館
米田恵子さんから送られてきたパンフレットによると「誓子という俳号の由来は、本名「新比古」(ちかひこ--->ちかいこ--->誓い子)によります。」(山口誓子学術振興基金実行委員会)とのこと。  

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