エヴァンゲリオンの夏の映画についての考察

セカンドインパクトの、原因は、はっきりしていない、しかし、セカンドインパクトとサードインパクトの内容は、全く異なる、セカンドインパクトによって、人がLCLに還ったということはない。むしろ物理的な衝撃によって、地球環境が大激変している。
EVAの中で冬月教授が、セカンドインパクトを起こした、君たちとゼーレを許すつもりがないと言っていた。やはりゼーレにとってセカンドインパクトは、予定どうりなのか。ここで一つにの仮説を立てた。南極で、最初の司徒を見つけたゼーレは、この、神のからだを持つ存在が、2015年に目覚め現在の人類を、滅ぼし、これに取って代わることを裏死海文書により知ったのではないか、これに対するゼーレの行動は、自分たちの手で神を作り出し、これによって人類が新たなる飛躍を遂げて神になることが目的だった。
人類には、心があるが、神の肉体はない、司徒には、神の体はあるが、心はないのである。最初の人類は心が完全な物であったが、長い年月を重ね心が不完全な物になってしまったのである。そこで、人類補完計画がでてくる、これは、新たなる存在になる可能性がある司徒を全滅させて、人類が一つになるためのサードインパクトを起こす事であった。映画を見る限りこれで間違ってないと思う。結論、”セカンドインパクト”は、現在の人類(自分たち)を守るため、全人類が滅亡するより、一部分が犠牲になってもその方がましだという。数の原理によって引き起こされた事である。(もちろん一部分の犠牲の中に自分たちは、入っていない。) サードインパクトは、もう限界が見えている人類に対して、全人類LCL化を、する事によって救われようとする物。もちろんこれもほとんどが機械の体で限界が見えてきた”ゼーレ”の、面々の考えである。一般の人はそんなことは願っていないだろう。
セカンドインパクトもサードインパクトも人類を新たな方向へ、導くといった大義名分があるのだが、自分たちのための自己満足にすぎないのだ。
これは単に戦略自衛隊突入の、カモフラージュなのか?エヴァンゲリオンパイロットの、射殺命令は、出ているが、首領格である碇ゲンドウの捕獲命令は、出てなかったように思える、結局シンジの乗るエヴァンゲリオン初号機をサードインパクトを引き起こす事に使っている。あのときミサトがいなければシンジは死んでいただろう。そうしたら、なにをよりしろにサードインパクトを引き起こすのか?こんなに、行き当たりばったりでいいのかと思える。エヴァンゲリオン初号機はシンジなし、では動かないと思うのだが。
結局マギシステム占拠を待たずして、エヴァンゲリオン量産機を投入、エヴァンゲリオン二号機を陵辱する。そのとき初号機ゲートの中うずくまるシンジ、いくら初号機がベークライトで固められていたとしても、それをいいことに何もしない、逃げる名目ができたシンジは、結局現実から逃げてしまう。 結局初号機が、勝手に動きシンジは、そとにでて無惨な二号機の、残骸を目にする、叫ぶシンジ、そしてロンギヌスの槍を、呼び戻すのだが、それを使って二号機をあんな姿にしたエヴァンゲリオン量産機を、倒すわけでもない、それどころかただ、衛生軌道上間で連れて行かれるだけ。これじゃー何のために出てきたのか解らない、まあ、この辺になると映像の暴走と、シンジの泣き言だけなのだから、しょうがないか?暴走し続けたあげく、最後は、自分が見殺しにしたアスカの首を絞める。”デビルマン落ち”?”アダムとイヴ”?シンジはこう考えた、こんなになったのは、「アスカがぼくをたすけてくれなかったからだー。」→「何で助けてくれないんだよ。」首を絞める、しかしこの期に及んでもまだ助けを求めるシンジ・殺すこともできない。そんなシンジに一言「気持ち悪い。」と答えるアスカ。これで終幕である。