映画のトップページに戻る
「ブラック・レイン」
Black Rain
1989年・アメリカ
○監督:リドリー=スコット○脚本:クレイグ=ボロティン/ウォーレン=ルイス○撮影:ヤン=デ=ボン○音楽:ハンス=ジマー○製作:スタンリー=R=ジャッフェ/シェリー=ランシング○製作総指揮:グレイグ=ボロティン/ジュリー=カーカム
マイケル=ダグラス(ニック)、高倉健(松本正博)、アンディ=ガルシア(チャーリー)、松田優作(佐藤浩史)、ケイト=キャプショー(ジョイス)、神山繁(大橋警視)、若山富三郎(菅井)ほか




 これもまた先日NHKのBSでやってたので、かなり久々に鑑賞した。公開時に話題になってるのは知ってたけど映画館では見てなくて、数年後にレンタルビデオで借りて見た。公開年を確認してみたら、これ、激動の1989年、平成元年秋の公開だったんですな。そしてこの映画の公開直後に悪役で出演していた松田優作がガンで死去。急遽松田を大きく映したポスターに切り替えられて公開が延長されたような記憶がある。
 白状すると、僕自身は当時はそう映画マニアでもなく、テレビドラマもロクに見ていなかったから芸能情報に非常に疎く、松田優作が死んだと周囲が大騒ぎしているなか、まったく彼について知らなかった。僕の同世代では大変なスターであったのだが、僕は死後にその出演作を見てゆっくりとその存在感を知ったのだ。そうこうしているうちに優作の息子さんたちが第一線で活躍するようになっちゃったけど。

 「ブラック・レイン」は日本を舞台にしたハリウッド映画の代表として、特に日本でよく知られた一本。それもエキゾチックさを強調する時代劇ではなく、バリバリの現代劇、しかもハリウッドの定番の一つである刑事ものだ。そして監督がリドリー=スコット。すでに「エイリアン」「ブレードランナー」で名を馳せ、SF映画作家なイメージも持たれていたのだが、他にも女性映画や歴史劇、ファンタジーまで手当たり次第に仕事をしている。それでも刑事アクションは本作きりのはず。リドリー=スコットといえばどの作品でも光と影を巧妙に使った印象的な映像づくりが目につくのだが(そのぶん話の方が割とアバウトで出来不出来の幅が大きい)、この映画でもその個性は良く発揮されている。

 マイケル=ダグラス演じる主人公ニックはニューヨークの刑事。と言ってもオープニングでは若造相手にバイクレースで無茶をするいきがったオジサンにしか見えず、彼が刑事であると分かるのは数分経ってからだ。仕事熱心ではあるらしいのだが、別居した妻と離婚調停中で養育費その他でカネがかかり、そのためにギャングのカネをちょろまかすような真似もする問題刑事だ。こうした彼の生活ぶりを映画は時間をかけて描き、後半の日本の刑事と対比させようという狙いみたいなのだが、正直あんまり成功していないような。
 このニックの相棒チャーリーも、いささか遊び人っぽい感じの若い刑事で、演じるはアンディ=ガルシア「ゴッドファーザーPART3」とか、このころ特によく出ていた印象がある。このニックとチャーリーがレストランで食事をしていると、日本人集団の客のところへキツい人相の日本人が現れ、ニック達の目の前で殺人を犯す。ニックは大追跡の末にこの男・佐藤(アメリカ人は「セイトー」と発音しちゃう)を逮捕するが、彼はただいま台頭中の日本のヤクザで、日本警察から引き渡しの要請が来る。ニックとチャーリーは佐藤を日本へ連行する役目を仰せつけられ、飛行機の中で佐藤をイビりつつ(この時の優作のふてぶれしい表情が絶品)、引き渡し先の大阪に渡る。大阪空港で刑事と思われる一団が書類を手に挨拶してきたのでニックたちは佐藤を彼らに引き渡し、「仕事は終わった、遊ぼうぜ」と言っていると、「本物」の刑事たちがやって来てビックリ。ニック達は刑事になりすましたヤクザたち(書類も保険証だった)に佐藤を引き渡してしまったのだ!…日本人観客の多くは「刑事の中にガッツ石松が混じってる時点で気づけ」とツッコんでしまうのだが(笑)。
 当然ニックたちは日米双方の警察からお叱りを受けてしまうのだが、彼らに捜査権限はないからこれで帰るのが筋。しかしこういう部分では非常に仕事熱心なニック刑事は佐藤の追跡捜査に強引に参加(ただし拳銃は取り上げられる)。お目付け役として堅物警部補・松本(演:健サン)が同行することになる。高倉健は実際に英語もできることからの起用で、このあと「ミスター・ベースボール」でもアメリカ人主人公と交流する日本人役を務めた。

 さて舞台は日本といっても大阪である。なんで大阪になったかというと、スタッフは本来東京、それも「暗黒街」なイメージのある歌舞伎町をロケ地にしたかったのだが東京都の許可が出にくいこと、実際問題撮影が困難であることなどから、比較的条件のよかった大阪に変更したいきさつがあるのだそうだ。僕は大阪はほとんど足を踏み入れてないのでロケがどれほど大阪で行われたのか知らずに見ていて、大坂の象徴ともいえる道頓堀のグリコの大看板が映るところくらいしかわからないのだが、日本版ウィキペディアの「ブラック・レイン」の項目は大阪人が書いたのだろうか、いつの間にかやたら詳しくロケ地が紹介されていて、予想以上にかなりの部分を実際に大阪で撮影していることが分かる。一部シーンは神戸であるとか地元の人には一目瞭然な「ウソ」も散見されるそうだが、変にエキゾチックに走らず現実の日本の都会でちゃんとロケしているのは感心。大阪の言語や雰囲気もちゃんと再現できてると思う(大阪人がどう思うかは知らないけど)
 もちろん全部が全部そうだというわけではなく、アメリカや香港で撮影されたシーンもある。日本が舞台のはずなのに妙にナマった日本語を話してる人がときどき確認できるが、これはアメリカで日系人俳優を使って撮影したため。香港ではチャーリーが殺される地下駐車場や佐藤のアジトなどが撮影されたらしい。そうそう、香港と言えば実はジャッキー=チェンにも悪役(ってことは優作の役?)でオファーがあったがイメージに合わないので断ったと当人が自伝で書いてるそうである。

 ともかく大半を大阪でちゃんとロケして、日本人が見てもそうおかしなところを感じない外国映画として、本作の評価は結構高い。高倉健やマイケル=ダグラスがそばやうどんをすするシーンもあり、実在する各種の派手なネオン看板も効果的に使われ、なぜか選挙カーのアナウンスが聞こえてくるなど音声面でも日本人を感心させる演出が多い。考えてみりゃリドリー=スコット監督は「ブレードランナー」でもネオン看板、うどん、謎の日本語(笑)を効果的に使った「日本通」なのだ。本物の日本に来てその趣味を嫌味でないレベルでしっかり発揮している。
 スタッフに関して忘れてはならないのが、スコット監督の要求にこたえてスタイリッシュに「大阪」を撮った撮影監督のヤン=デ=ボン。これの前に「ダイ・ハード」の撮影を担当、「レッド・オクトーバーを追え!」「氷の微笑」(これもマイケル=ダグラスつながり)も彼が撮影している。あとで監督に転身し、「スピード」でヒットを飛ばした後、一度はハリウッド版「ゴジラ」の監督に起用されて、「ブラック・レイン」で縁のある高倉健を出演させようとしてカメラテストまではやっていたが降板に至っている。

 さて、話の方はどうなってるかといえば、ニックが逃がした佐藤は日本ヤクザ社会で過激なまでに「下剋上」を狙う男で、他の親分衆への「仁義」(日本語セリフでちゃんと出てくる。実はかなり英訳困難な語)などかなぐり捨てて、偽札製造に手を出している。こうしたヤクザ描写はそれこそ「仁義なき戦い」なんかも参考に見てるフシがあるし、そもそもすでに高倉健が出た「ザ・ヤクザ」もある。おぼろげな記憶なのだけど、このころ実際に日本のヤクザが海外のマフィアと結びつく動きがあってFBIも警戒している、なんてニュースを新聞で読んだ覚えもあり(なお出演している安岡力也の父は本物のシチリアマフィアだったとか)、そんな事情も背景にこの映画はヤクザ映画として見てもそこそこリアルに作られている。終盤では「けじめをつけんかい」と若山富三郎に凄まれて「指つめ」もやってるしね。
 どうしても残念なのはクライマックスのロケ地がどう見ても日本でないこと。なんでもカリフォルニアのブドウ園で、持ち主が日本マニアだったために、「日本っぽい」建築物があるんで、そこを利用して撮ったとのこと、まぁ確かに日本国内ではあんなド派手な爆発ドンパチ、バイクレース「をやれる広いところを見つけるのは難しかったかも。そうそう、このクライマックスでようやく冒頭のバイクレースがなんで描かれたかわかるわけですね。

 ところでタイトルの「ブラック・レイン」とは訳せば「黒い雨」となる。「黒い雨」といえば原爆をテーマにした井伏鱒二の小説、およびその映画版が連想されるが、ややこしいことにこの映画版「黒い雨」も同じ1989年に公開されており、どちらも英題は「Black Rain」なのだ。
 こちらの刑事映画のほうの「ブラック・レイン」の題名の由来は劇中に若山富三郎演じるヤクザのボス「菅井」のセリフで明示されている。こちらは原爆ではなく、太平洋戦争時のアメリカ軍の空襲で起こった「黒い雨」に言及していて(大空襲でも煤などを含んだ「黒い雨」は降る)、これを日本を負かしたアメリカが戦後の日本にアメリカ流の文化を注ぎ込んだことにひっかけている。話の趣旨としては佐藤のような「仁義なきヤクザ」が出てきたのはアメリカの個人主義の洗礼のせいだ、と言いたいらしい。戦後の仁義もかなぐり捨てたヤクザというと、「仁義なき戦い」の千葉真一の役なんかが連想されるのだが、この映画の佐藤にそれほど「アメリカ」な感じは僕は受けないし、それが日本伝統のヤクザ社会と対立している、という構図もあんまりうまくいってない。総じて「ブラック・レイン」という思わせぶりなタイトルにするほど内容に日米関係の戦後史は反映されてないように思う。そのテーマも追及してけば、佐藤・松本らとニックの対決と友情にも単なる刑事アクションを越えた深みがぐっと出たかもしれないが、基本的にハリウッド刑事映画なのでそこまで踏み込めなかっただろうな。

 最後にやはり松田優作のことを。僕は彼の死後にこの映画を見て初めてこの俳優を「知った」ようなものなのだが、撮影時すでに膀胱ガンを悟っていながら病身を押しての出演、その気迫は「鬼迫」と書きたくなるほど鬼気迫るものがある。他にも大物俳優が出たというオーディションでも名演を見せて役を獲得、初めてのハリウッド映画デビューを強烈に飾り、次のハリウッド映画のオファーも受けていたそうだが、本作の公開直後に死去、これが遺作となってしまった。優作がどこまで死を覚悟していたかは分からないが、今にして思えばまだ40歳、その命の最後の輝きを映像の中に刻み込んで後世に残してやれという執念を感じさせる。
 クライマックスの最後にニックが佐藤を捕え、目の前にある木の突起に串刺しにして殺したものかどうか迷う一瞬のあとで大阪府警に連行してくるカットに切り替わるが、当初の予定ではそのまま串刺しにすることになっててその通り撮影もされたが、監督らが「ストーリー的に殺しはしないんじゃないか」と迷って佐藤がしなないバージョンも撮影しておいて結局そちらを採用したというのも知られた話。あわよくば続編が作れるぞ、という色気もあったとの説もあり、それだけ優作演じる佐藤が「殺すには惜しい」キャラと思われていたと言えそうだ。本作では徹頭徹尾のワルぶりだったが、続編があったらもそっと佐藤の人間性が描けたのかもなぁ、とこれも妄想である。(2015/11/4)



映画のトップページに戻る