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「キル・ビルvol.1」
KILL BILL vol.1
2003年・アメリカ
○監督/脚本:クエンティン=タランティーノ○撮影:ロバート=リチャードソン
ユマ=サーマン(ザ・ブライド) デヴィッド=キャラダイン(ビル) ルーシー=リュー(オーレン石井) ダリル=ハンナ(エル・ドライヴァー) 千葉真一(服部半蔵)ほか




 この映画、実のところおっかなびっくり見に行った。もともとタランティーノ映画は好きだったから(正確には「パルプ・フィクション」が好き、なのだが)見に行くつもりではいたのだが、公開されると「やたらに手が飛び、首が飛び、血みどろの描写が!」などといった話が聞こえてきて、スプラッタ描写が苦手な僕は「どうしたものか」と迷ってしまったのだ。いやホント、血液循環の話を聞くだけでも心臓が痛くなってくるような男なのだ(笑)。「パルプ・フィクション」でもあの「注射を心臓に直接刺す」ってシーンでかなりこたえたこともある。
 それでも結局見に行って…まぁ結論から言えばそれほど心臓にはこたえませんでした(笑)。最初から覚悟して見れば「まぁこんなものか」というところで。確かに盛大に人体が切断され大いに血の海を見る事になるんだけど、ここまで来ると怖いを通り越してギャグに限りなく近づいてしまってるし。もちろん作り手の計算違いではなく「狙ってやってる」ことなんだが。聞くところによるとアメリカ公開版では血の色がどぎつくならないよう変更が加えられ残虐シーンも若干カットされているそうで。

 ストーリーの基本線は、かつての仲間から壮絶なリンチを食らい、妊娠していた娘も奪われて長い意識不明状態にあった女=ザ・ブライドが意識を取り戻し、自分をリンチした仲間一人一人に「復讐」をしていく、というもの。「パルプフィクション」や「レザボア・ドッグズ」同様に時間軸があっちいったりこっちいったりする展開になっているので、続編の「vol.2」を見終えるまでは「真相」がつかめないところもあるが、シンプルで分かりやすいコンセプトではある。ザ・ブライドの復讐の相手は親分のビルも含めて5人。この「vol.1」ではこのうち二人に対する復讐が描かれている。

 冒頭、「バンバン」の歌が流れる中、ザ・ブライドがビルに「撃ち殺される」場面が入る。毎度ながらタランティーノの選曲センスは絶妙。そして続くシーンではいきなり最初の「復讐劇」が描かれる。ごく普通の主婦になっていたかつての仲間をザ・ブライドが訪ねてきて、「日常生活の中の殺し合い」というありそうでなかなかない不思議なシーンが展開される。結局子供の目の前で母親を殺してしまい、「大きくなったら私に復讐しなさい」などと言い捨てて去っていくあたりなんぞはタラちゃん好みの東洋的カッコ良さであるのかもしれない。
 最初の復讐シーンが終わってから、話はさかのぼってザ・ブライドがリンチを受け、それから4年間の意識不明が続き、突然目を覚まして復讐のために旅立つまでの過程が描かれてゆく。このあたりも狙ってやってることなんだろうけど、かなりムチャクチャな展開で…(笑)。平気で大ボラこいて作り手が楽しんじゃってる、って感覚にあふれてるんですな。ダリル=ハンナ演じる「エル・ドライバー」がナースの服に着替えると眼帯に赤十字マークとか、蚊に刺されていきなり意識回復とか、意識不明のザ・ブライドを性欲処理の道具にしていた男達に手足が利かない体で報復しちゃったりとか、まぁ無茶で下世話な話のオンパレード(笑)。しかしバカにしつつ見てるとついつい引き込まれているあたりがこの人の映画の不思議なところだ。

 そこからルーシー=リュー演じる「オーレン石井」に対する復讐話になるわけだが、その「オーレン石井」が殺し屋になるまでの過去の経緯をすべて純正日本風アニメで物語るという大胆なアイデア。そうだろうとは思っていたのだが、タラちゃんも日本アニメの大ファンだったりしたのだな。まぁここでもかなりエグイ場面があり、血が盛大に飛びまくるのだが、アニメゆえにどぎつさはそこそこではある。アニメから現在のオーレン石井、つまりルーシー=リューになるのにはさすがに不自然さを感じないではなかったが…ルーシー=リューの日本語もかなり無理があったし。そのルーシー=リュー初登場シーンは国村隼や北村一輝、麿赤児ら日本のファンには嬉しい粋なキャスティング(もったいないともいう)で、いきなり首チョンパの生首ゴロリ(^^;)。僕は未見だが凄まじい暴力描写で話題になった映画「殺し屋01」をしっかり見ていたタラちゃんのオマージュシーンでもあったようだ。
 オマージュといえば凄かったのは千葉真一。タランティーノの千葉真一愛は脚本を書いた「トゥルー・ロマンス」ですでに暴露されていたし、「パルプ・フィクション」の決め台詞も「影の軍団」がヒントになってると明かされていた事から、千葉真一との仕事は時間の問題とは思っていたが、まさか「影の軍団」の服部半蔵そのまんまで出てくるとは思わなかった(笑)。千葉真一も喜んでノリノリで演じちゃってるし(カットのためアクションが少なかったのは無念でしょうけど)、少年時代の憧れをそのまんま発露して映画を作っちゃう究極のオタク・タランティーノの趣味全開といったところだ。この「ハットリハンゾウ」が出てきたあたりから日本人としてはこの映画に「外国人の思い描く日本像」などを求めてはいけないことが判明する。
 もう百も承知で意図的に「映画の中の勘違い日本」を描こうとしてるんだもん。日本刀フォルダーが座席にある旅客機、「ゴジラ」よろしくミニチュアで作られた東京、何が何でも日本刀で勝負する刺客たち。演歌までそのまんま登場し、元ネタの分からない観客は右往左往、分かる人には盛大に大うけ、というまさにオタク映画。よくまぁこんな個人趣味映画の製作にゴーサインが出たものだ、と思う。

 映画のパンフレットにはこの映画に出てくる様々な引用の元ネタがかなり詳しく説明されていて、大いに助かった(笑)。もちろん分からなくても結構見ていられるし、もともと面白い話なんだけど、元ネタがわかるともっと楽しい。しかしとにかくタラちゃんの古今東西にまたがる博覧強記のB級映画マニアぶりにはほとほと恐れ入るしかない。思えば「レザボア・ドッグス」以来「趣味で映画を作ってる」という姿勢のお方だからなぁ…それでいて妙に芸術映画作家みたいに評されるところがこの監督の不思議なところだが(こういうタイプは映画史上にも珍しいんじゃないかなぁ)、この「キル・ビル」はもはや「暴走」の気配も強い。僕自身はこういうお遊び姿勢好きなんだが(笑)、「自分ひとりの趣味で映画を作るんじゃねぇ!」といった批判も当然出てくるんでしょうな。

 この映画、本来1本にまとめるはずが長くなってしまい、2本に分割しての公開となったと伝えられている。よくまぁそんなワガママ勝手が通ったもんだと思っていたのだが…
 「vol.1」のラスト、見事なまでに続きを見たい気にさせる、かなり意表を突いた終わり方をするんだけど、もともと二部作のつもりだったんじゃないか?との疑惑が浮かぶ。これもタラちゃんの術中にハマっているということなのか。分かっていつつ結局「vol.2」を見に行っちゃうんだろうな。
(2004/3/19)


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