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「クラッシャージョウ」

1983年・日本
○監督・脚本・作画監督・キャラクターデザイン:安彦良和○原作・監修・脚本:高千穂遥○美術監督:中村光毅○撮影監督:三沢勝治○音楽:前田憲男○制作:岸本吉功/伊藤昌典
竹本拓(ジョウ)、佐々木るん(アルフィン)、小林清志(タロス)、小原乃梨子(リッキー)、二又一成(ドンゴ)、久米明(ダン)、納谷悟朗(コワルスキー)、小林修(バード)、武藤礼子(マチュア)、柴田秀勝(マルドーラ)、大塚周夫(マーフィ)ほか




 この映画、全部見たのは実はつい先日。初めて部分的に見たのはたぶん公開から1年か2年後だと思う。それも学校の文化祭でどこぞのサークルがビデオ上映をしていたのを、たまたま見つけてラストの方だけ見ていた、という程度の話。だから最後にどうなるかだけは前からよく知っていた。それからおよそ30年も経ってから全編を見ることになるとはなぁ…。

 公開当時、僕はそうアニメファンというわけでもなかったが、この映画には興味をひかれた記憶がある。理由は明らかで、監督が「安彦良和」だったから。僕くらいの世代にとってはなんといっても「ガンダム」のキャラデザイン、というよりその「絵」全般を手掛けられた人として強烈な存在感があった。とにかくマニアでない僕でも一目で「安彦さんの絵」と分かる。おまけに(あとから知ったことだが)ガンダム以前の「ライディーン」だの「コンバトラーV」だの「ザンボット3」だのといったロボットアニメのキャラデザインも安彦さんで、まぁ僕らの世代は物心ついたあたりから安彦絵に育てられたようなものだ。初めて見たものを親と思い込むヒナ鳥の刷り込みに近い(笑)。その後安彦さんは漫画家として活躍することになるが、最近の作品も含めてその絵を見ただけで僕なんかは親元に帰ったようなときめきを覚えてしまうのですな。
 その安彦さんが「監督」である。これも後で知ったが、これが第一回監督作品だった。そしてキャラデザインと作画監督で「絵」もバッチリ。あまつさえ主人公の「クラッシャー」たちのユニフォームが「ザンボット3」そのまんまなんだもん(笑)。そりゃ興味をひかれようというもの。だけど結局見にかなかったんだよね。当時の状況では、僕がいくら興味をもったとしても電車でそこそこ走らなきゃいけない映画館まで一人で出かけていくというのは難しかったんである。調べてみたら角川アニメ弟一作「幻魔大戦」も同時期公開なんですな。これも同様の事情で当時は見ていない。当時の僕はアニメファンとしてはそう濃度が濃くはなく、興味は抱くけどわざわざ見に行くのは…ってところだったし、家にビデオもなかったから公開を逃すと当分みられなかったんである。

 で、今頃になってようやく全編を見たんだけど、いやぁ、やっぱり楽しんでしまった。見終えてからすぐ二度見するのは久々。もっとも、この映画の場合一度見た出ではいまいち展開がわかりにくいせいもいくらかあったけど。断わっておくと、僕は高千穂遥さんの原作小説のほうはまったく未読。アニメ化については原作者ご自身が脚本・監修と積極的に参加なさっていて、安彦さんの監督起用ももともと小説の挿絵を担当していたことから高千穂さんのご指名だったと聞いているので、いくつか設定変更はあるもののおおむね原作どおりのアニメ化なのだと思われる。そういや調べてみると担当声優も高千穂さんが決定していて、特に主役ジョウは一度は芸能活動をやめていた竹本拓さんをイメージバッチリと抜擢したんだそうですな。

 映画が始まるといきなりド派手なカーチェイス。やたら人死にが出るチェイスで運ばれていたのは、なぜかヌードで冷凍睡眠状態にされた一人の美女。この美女をめぐって何やら争奪戦が行われてるらしいのだが、その輸送が主人公ジョウたち、いわば宇宙の便利屋である「クラッシャー」四人組に依頼される。ジョウたちはだまされたまま依頼を引き受け、その旅の途中で突然人為的に別地点へワープさせられてしまい、気を失っている内に運んでいた美女も消えてしまう。おまけにワープした先で海賊と疑われ、一時的にクラッシャーの資格も停止されるという踏んだり蹴ったりな事態となる。
 ジョウたちはディスコに繰り出して憂さを酒と暴力で発散(笑)。壮絶な大暴れでディスコ一店を破壊してしまう。それから事件の謎を解くカギが無法者の集まる太陽系国家ラゴールにあると聞かされると、そのラゴールへ乗り込んでゆく。着いたとたんに凄腕の海賊どもに襲撃されて大空中戦、不時着すると今度はモンスターに襲われ…とまぁ、とにかく次から次へと大アクションが連続する。スペースオペラはこうでなくっちゃ、という展開で息継ぐ暇もないジェットコースター状態。それが恐らく当時としては最高レベルの作画でギュンギュン動くんだから、好きな人にはたまらないだろう。

 やがてストーリーは海賊集団のボス・マーフィー(いつも肩に乗ってる「ペット」が可愛い)が、たまたま発明されてしまった「他の宇宙船を任意にワープさせてしまう装置」を手に入れて兵器に利用しようとしていることが判明。例の冷凍冬眠の美女はその発明者の娘マチュアで、装置を完成させるには不可欠の存在だったと分かる。マチュアを救出したジョウは彼女とちょっと微妙な関係になったりして…とまぁ、とにかく盛りだくさん。これでもか、これでもかとクライマックスが連続、まだ終わらないの、と思ってるうちに話は下手すりゃ宇宙全体(?)が破壊されかねない(そりゃあんなに簡単に時空を操作できるんじゃねぇ…)という恐ろしい事態に発展、えらくスケールの大きい大騒動になって、しかも裏には裏が…

 こういう「まだまだ終わりません」な連続クライマックス展開というのが、僕は大好き。映画を見たとき評価の大きな基準の一つに考えているくらい。その点ではこの「クラッシャージョウ」は脚本がホントよくできてると思う。アニメだから本来当然なんだけど、確かに安彦絵がよく動く動く。日本で「スター・ウォーズ」作ろうったって無理だから、アニメでやっちゃえ、というとこんな感じになるのかも。
 基本線は大スケールの冒険活劇なんだけど、結構マンガマンガしたギャグも多く、安彦さんの絵って実はかなりギャグ向きなんだと思い知らされる場面も目についた。特に拷問を受けてボロボロになったタロスの顔がブルブルッと振っただけでツルリと(光沢入り!)無傷になるところは大爆笑。また有名人気漫画家が大挙協力した「特別出演」がやたらにあり(特に、いしいひさいちが「最低人」を出してるのにビックリ)、僕には良く分からないが内輪ネタ、業界ネタをあっちゃこっちゃにちりばめてもいたらしい。そうそう、高千穂さんのもう一つの柱でやはり安彦挿絵の「ダーティーペア」が映画中映画で出てくるのも話題のひとつ。

 とまぁ、ここまでほぼベタ褒めしてきたんだけど、実のところ不満もある。何かというと、見終えた後で今一つ「残る」ものがないのだ。二度見して確かめておいてなぜだろうと自分でも首をひねったんだけど、一つに全体的に「軽い」ってのがあるのかも。明るく楽しい宇宙冒険活劇、それでいいはずなんだけど、ジェットコースターに乗せられてるだけで考えさせられない、ということなんだろうか。よく見渡せば人物や政治勢力、SF技術などの要素がかなり複雑に入り組んでいる話を圧縮して詰め込んでしまってる(見ているうちはそれほど気にならないのは脚本がいいから)のも一因と思えるし、スピーディーな展開のあまり、メインキャラ達についても個性が描き切れず、いずれも類型的な感じになっちゃったきらいもある。原作小説がなまじいくつも書かれててそっちでキャラも世界観もきっちり描いてるから、映画ではそのエッセンスの一部しか描けない、ということもあるのかな。
(2015/10/30)



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