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「メトロポリス」

2001年・METROPOLIS製作委員会
○監督:りんたろう○脚本:大友克洋
井元由香(ティマ)、小林桂(ケンイチ)ほか




 この「メトロポリス」公開の話を聞いたとき(製作していること自体については事前には全く知らなかった)、メインスタッフの「組み合わせの妙」をまず感じざるをえなかった。原作は言わずと知れた手塚治虫の初期SFの名作。脚本は「AKIRA」等の漫画、アニメで国際的にも高い評価を得ている大友克洋。監督は僕が未だにアニメ映画ベストに上げてしまう「銀河鉄道999」2部作や「幻魔大戦」などなどコンスタントに話題作を作り続ける「りんたろう」。SF漫画・アニメファンでこの組み合わせだけで興奮を感じてしまった人も多いはず。言い尽くされていることだとは思うけど、あえてここでも触れてしまいたい。この三者組み合わせの妙というやつを。

 監督のりんたろうは手塚治虫が創設した「虫プロ」のメンバーだった過去があり、「999」の大ヒット後に彼が角川アニメで何本か製作したなかに手塚原作の「火の鳥・鳳凰編」があった。公開当時僕はこの「手塚治虫+りんたろう」という組み合わせに興奮し期待して観に行ったクチなのだが、結果はかなり無残なものだったと言ってしまえる(同時上映の「時空の旅人」のほうは眉村卓の原作をまるで無視しながら案外良かったという印象がある)。原作が「神様」手塚のライフワークであり、しかもその中でも最高の評価があるといえる名編だけに「手に余った」という観もあったが、映画自体の時間的制約、そして恐らく経済的制約、興業的制約といったものも感じられた。あとそもそも総合プロデューサーの角川春樹氏の姿勢もあったかもなぁ…当時のパンフレット見ると「私は火の鳥を二度見た」などと平然とオカルトにイッちゃってるコメントが…あ、それは脱線(笑)。そんな中でりんたろう監督が試みたのはどうバッサリ斬って原作のエッセンスを出すかということであったように思う。この「メトロポリス」関係での発言をみていると「ストレートに勝負しても『手塚』は描けない」って気持ちをずっと持ち続けていたように感じられる。

 そして脚本を担当した大友克洋。新しい才能には常に激しいライバル心をかきたてていた手塚治虫がその晩年において最も意識したのがこの大友さんだったらしい。ホントに手放しといって良いほどの絶賛を贈ったコメントが残っている(鳥山明に対しても同様のことを言ってたな)。一方の大友克洋本人はといえば、僕の記憶の限りではそれほど手塚から直接的に多大な影響を受けたことはないような発言をしていたと思う(出発点は石ノ森章太郎だったらしい)。初期作品についても「絵」の観点から当初余り感心を持ってなかったとか言っていたような覚えもある。だが次第にその初期作品にひかれるようになっていったもののようだ。大作漫画「AKIRA」の完結に際して大友克洋はその末尾の謝辞の最後に「そして手塚治虫先生に…」と付け加えている。

 こんな二人がNHKの番組で対談し(うかつにも私は見逃していた)、それがこの「メトロポリス」の企画につながったという。この映画、手塚自身がすでに「歴史上の人物」となった時代において、クリエイターたちが初めて本格的に「手塚作品」に挑戦してみた意欲作と呼べるのは間違いない。単に「懐かしの」とか「リメイク」といった姿勢ではなかったことは確かだと思う。昨今シェークスピア作品があの手この手のアレンジでやたらに映像化されているが、ひょっとすると「手塚」もこのノリで今後再生産されていくのかもしれない。

 さて、映画本体の内容よりも背景説明ばかりを長々と書いてしまった。まぁそれも正直なところ僕の関心が作品自体よりもそっちにあったことが否めないからなんだけど。
 何を隠そう、実は僕は原作「メトロポリス」を読んだことが無い。一応手塚ファンを名乗りながら不届き千万なことであるが、事実なのだ。だが余りにも有名だけにその内容はほとんど知っていて「読んだような気」になっているのも事実。藤子不二雄(A)の「まんが道」でも詳しく紹介されているし、最近では矢口高雄の「ボクの手塚治虫」で矢口自身の絵になるダイジェスト「メトロポリス」(ご本人の当時の衝撃的印象を重視されたらしい)を読んだことがある。そんなこんなで直接読んだことは無いものの、だいたい中身は知っている、というのが僕にとっての「メトロポリス」だったのだ。もちろん直接読んではいないので細かいところで知らない部分もあるのだが、原作付映画についてはそのぐらいの知識で臨んだほうがいいところもある。原作の大ファンが、その映画化されたものを観ると幻滅するってことがよくあるでしょ。結果的に僕はこの映画「メトロポリス」について原作との違いうんぬんを感じるところはまるで無かった。

 この映画、狙いは「初期手塚的なもの」を抽出することにはかなり成功していると思う。大胆かつ慎重をきわめたキャラクターデザインといかにも「大友的」な巨大構造物の中で展開される大モッブシーンはいい意味で初期手塚作品の魅力を引き出せたと思う。映像・音楽ともにレトロタッチで統一されていて、まさに「レトロポリス」な世界を創出していた。映像作品としては近年でも出色のものだと思う。
 ただねぇ。ストーリーは僕はかなり辛い点をつけてしまう。3分の2ぐらいまではかなりいい。それがラスト3分の1でかなり辛くなってしまうのだ。各キャラクターの行動がご都合というか単純化されていて、背景に抱えている設定が深いせいもあって観ていて納得しにくいところも多い(とくにロックの使い方)。単純化するなら徹底して単純化すべきで、どうもこのあたりは中途半端。それとアシモフ作品のファンだったりする僕としては「ロボットと人間」のテーマでもっと深められたところがあるはずと思っている(別に「三原則」にこだわっているわけではなく、「ティマ」の懊悩が原作ほどにも感じられない点が気になったのだ)。途中でいろいろ出てくるロボットくんたちは結構好きになれたんですけどね。メインのストーリーが…。
(2001/9/21) 



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