映画のトップページに戻る

「となりのトトロ」

1988年・日本・スタジオジブリ/徳間書店
○監督・原作・脚本:宮崎駿○作画監督:佐藤好春○美術:男鹿和雄○音楽:久石譲
日高のり子(サツキ)、坂本千夏(メイ)、糸井重里(父さん)、島本須美(母さん)、北林谷栄(ばあちゃん)、雨笠利幸(カンタ)、高木均(トトロ)ほか




 もう何回見たんだろう、というぐらい見ているアニメの一つ。たぶん脳内再生で最初から最後まで上映できます、という映画でもある。それほど好きか、と言われると実はそうでもないんだけど(笑)。先日金曜ロードショー枠でしばらくぶりに全編通してみたので、ここに書いてみることにした。

 それにしても1988年公開、ギリギリで昭和の御代、もう4半世紀近くも前の作品になってしまったのだ。僕は劇場公開時に映画館で見ているが、よく知られるようにこの時は「火垂るの墓」と二本立て同時上映。90分の映画を二本連続で見ることになったのだが、今にして思えば「同時上映」という興行形態事態がこのころを境に一気に無くなって行った気がする。
 ちなみに僕が見た時は、先に「トトロ」で、そのあと「火垂る」だった。そのためかなり重い気分で映画館を出た記憶がある。そのため僕は母親に「火垂る→トトロ」の順番で見た方がいい、などとアドバイスしたのだが、あとで実際にその順番で見に行った母親は「トトロの方で泣いた」と語っていたものだ。そういえば母親の年齢はちょうどこの映画のサツキと同世代ぐらいだった(明確な年代設定はないけど昭和30年前後とみられる)。「同時代人」の目から見ても、このアニメの時代考証の正確さは細かいところまでかなりのものであるようだ。

 当時の僕自身はといえば、「ナウシカ」「ラピュタ」二連発ですっかり参ってしまっていた時期で、宮崎駿信者になりかけていたのだが、「トトロ」についてはあまりにもお子様向けという気もして、わざわざ映画館まで足を運ぶか若干の躊躇があった。結局見に行ったんだけど、休日に見に行ったはずなのにあまり客がいた記憶がない。もちろん非常に面白く見たし、アニメならではのギャグやストーリーに感心もしたのだが、昭和30年前後の時代設定にそれほど思い入れがあるはずもなく、母のように泣きはしなかった。佳作だなぁ、ぐらいの気分でいたのだが、その年の映画賞をとりまくり、こんな四半世紀あとまで子どもたちが定番で見る古典的名作になって、オープニングに必ず映されるジブリの看板キャラにまでなってしまったことに正直驚いてもいる(「もののけ姫」みたいなスプラッタな作品でも「トトロ」から始まるんだもんな)

 ストーリーは今さら書くまでもない。今回改めて見て、最初に「トトロ」が出てくるまでの時間が思いのほか長いのだなぁ、と思った。チビトトロをメイが見つけて追い回し、そのあとドングリを背負った中トトロが抜き足差し足でメイの向こうを逃げて行くカットは「志村〜うしろ〜」世代としては公開当時もツボだった(笑)。
 バス停でデカトトロと遭遇、バスが来た!と思ったらそのバスがいきなりピョンとジャンプするカットも公開当時とてもウケたところ。ここで「ネコバス」をチラッと見せて観客を欲求不満にしておいて、最後のクライマックスで華々しく登場、サツキとメイを乗せて(ついでに観客も乗せて)満足させてしまうという構成を心にくく思ったものだ。このネコバスについては、後年黒澤明が宮崎駿との対談でも「あれが面白かったな。実写じゃ絶対できないし」と言ってたが、確かにアニメならではのクライマックス。行先表示に「めい」とか「七国山病院」(院の字が間違ってる)と出るのも何度見てもウケてしまう。主役はトトロなんだけど、映画のラストカットがネコバスになっているように、実はネコバスの方が主役級のようにも思えてくる。主人公たちを直接的に助けてくれるのもネコバスだし。

 この映画のクライマックス部分が実はある外国童話の翻案であることに、僕は劇場での初見時に気がついて、以来ずっと人にその説を語って来たのだが、世間ではとんと言及されてない。最近ネットで検索してみると気がついた人がちらほらと言及してはいるようだ。
 その外国童話とはイギリスの「とぶ船」という作品。少年がとある古道具屋で買った小さな船が、魔法の力で大きくなって世界中どこへでも飛んで行き、さらにはタイムマシンにもなってしまい、兄弟たちがそれに乗って次々と冒険を繰り広げるファンタジー作品で、母親が児童文学の文庫活動をしていた関係で我が家にもかなり古い訳本(僕の母が子供のときに読んだもの)があったので僕も幼い時から親しんだ。今にして思えばアニメ化するとかなり面白そうな作品ではある。バックボーンに北欧神話があるので、僕もこの作品でその世界のことを知ったものだ。
 この「とぶ船」のなかで、主人公の兄弟たちが病院にいる母親を「とぶ船」に乗ってこっそり見舞いにいく話がある。病室の外から姿を消してこっそり覗いて行くだけなのだが、母親はその気配に気づき、兄弟たちが置いて行ったバラの花でそれを確信する、という展開が「トトロ」ではトウモロコシを使って翻案されているわけだ(さらに言えば母親が病院暮らしだった監督本人の記憶もそこに重ねられているのだろう)。宮崎アニメにその手の「引用」が多いことはよく指摘されていて、「カリオストロの城」のクライマックスが元祖アルセーヌ・ルパンの一編「緑の目の令嬢」そのまんまだというのはよく紹介されてるが、「トトロ」と「とぶ船」の関係についてはほとんど言及されてない。やっぱり読んでる人の数が違うんだろうか。「千と千尋の神隠し」のラストの元ネタが「クラバート」、というのは監督本人が明かしていたが、いずれも僕が子供のころに読んでいたものばかりで(というか母親が好みのジャンルなんだよな)、大人になってからそれらの「引用」に気づくと、なんだか懐かしい気分にさせられたものだ。

 今回「トトロ」を見て初めて気がついたのだが、カンタ役は当時実際にカンタと同じ年齢で子役をしていた雨笠利幸で、のちに大河ドラマ「太平記」で足利尊氏の少年時代を凛々しく演じていた。「トトロ」も「太平記」も何度も見てるくせに、キャストが同じであることに今ごろになって気付いたのだった(汗)。
 他にキャストで目につくのは、若いころから「おばあちゃん役者」として知られた北林谷栄がアニメでもおばあちゃんをやってるということ。この3年後に岡本喜八監督の「大誘拐」でハマりすぎの大富豪おばあちゃんを熱演、「ああ、これがトトロのおばあちゃんか!」などと僕は驚いていたものだ(近ごろの言葉で言うなら「中の人」ですな)
 「忘れものを、届けに来ました」という「火垂るの墓」ともどものキャッチコピーを作った糸井重里もさわやかに名演。今回の放送では画質がよくなったもんだから、この考古学者のお父さんが家で仕事をしている際に「纒向遺跡」と書かれた本が映っているのを確認。「飛鳥」と書かれたものもあるので古墳時代の専門家なのか?と思われるのだが、昭和30年前後では「纒向遺跡」はまだその名前では知られてなかったみたいなんだよな。

 テレビもない、電話すらも「本家」にしかないという、僕がまだ子供といっていい段階で見た時点で「大昔の時代設定」だったんだけど、21世紀の今の子供も(それも日本に限らず)素直に楽しんで見てしまっているあたり、もはや「古典作品」となってしまったということなのだろう。古典となった作品は時代を超えて愛されるものではあるのだけど、この映画は作った時点から見て「昔」を懐古する作りになっているという点で異例かも。(2012/8/5)



映画のトップページに戻る