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「拝啓天皇陛下様」

1963年・日本/松竹
○監督:野村芳太郎○脚本:野村芳太郎/多賀祥介○原作:棟田博○撮影:川又昂○美術:宇野耕司○音楽:芥川也寸志
渥美清(山田正助)、長門裕之(棟本博)、棟本秋子(左幸子)、桂小金治(鶴西)、高千穂ちづる(手島国枝)、井上セイ子(中村メイコ)、加藤嘉(堀江中隊長)、西村晃(原一等兵)、藤山寛美(柿内二等兵)、多々良純(浦上准尉)ほか




 渥美清と言えば寅さん。「当たり役」を通り越して俳優と劇中のキャラクターとがほぼ一体のものと見られてしまった、ありそうでなかなかない例だ。僕自身は寅さん映画はまともに全部見たものが一本もないのだが(TV放映時に部分的に見たものばかり)、渥美清=寅さんというイメージは明確に持っていたし、他の映画にこの人が出ていても「寅さんの人がチョイ役出演」というくらいにしか認識していなかった。実際のところ寅さんのイメージが定着してからはほとんどそういう形でしか他の映画に出演していなかったし(例外は金田一耕助を演じた「八つ墓村」とか、「キネマの天地」くらい?)
 そんな渥美清が「寅さん」以前に代表作としていたのがこの作品。以前から名前だけは知っていたが見たことがなく、今年に入ってNHKのBSで「山田洋次が選ぶ100本・喜劇編」の一本として放送されたので初めて見ることになった。

 タイトルだけ聞くと「右翼映画か?」と一瞬思ってしまう人もいそう。確かに主人公は実に素朴に「天皇陛下」(もちろん昭和天皇である)を敬愛しているし、軍隊も戦争も大好き(笑)。といって決して教条的な軍国・愛国主義者といったやつではなく、少々やくざっぽくはあるが天真爛漫、短気であると同時にお人よし、女性には惚れっぽく、文字もろくに書けず世間的なことにも無知、難しいことは何も考えてなさそうな純真な男である。はっきり言っちゃって「寅さん」のプロトタイプと説明する方が早い。渥美清本人は決して寅さん的なキャラではなかったらしいのだが、少なくともその演技からにじみ出るキャラクターはこの時から「寅さん」的なものだった。

 主人公は渥美清演じる「ヤマショー」こと山田正助だが、語り手はもう一人の主役と言っていい長門裕之演じる「棟本博」のほう。原作者の名前をもじったのは明らかで、映画の中でも作家として描かれており、確認はしてないけど原作小説も作者自身の体験をもとにしているのだろう。長門裕之というとつい昨年亡くなったばかりだし、僕もお年寄りになってからの出演作しか見ていなかったのだが、この作品では当然ながらかなり若い。よく「桑田圭祐似」と言われるのがよく分かる外見のころである。

 この棟本が召集されて入隊するところから話が始まる。入隊時に自分の名前を書くところでそれもろくにかけない「ヤマショー」と初めて出会う。入隊といってもいきなり戦地に行くわけではなく、もっぱら兵営の中での訓練と合宿状態の共同生活が続く。こういう場所ではお決まりの先輩兵による陰湿なイジメ、シゴキもしっかり描かれるのだが、最初は被害者の側だった主人公たちも次の年には「そして歴史は繰り返される」のナレーションと共に後輩の兵隊をやっぱり同じようにイジメてシゴくところがささやかに笑いを誘う。山本薩夫監督作品「真空地帯」「戦争と人間」に描かれた内務班での凄まじいイジメ描写に比べればずっと牧歌的に感じてしまう。まぁやる方もやられる方も人によりけりだろうから、この原作の作者なんかはあまりひどい目にあわずに済んだ方なのかもしれない。山本監督もそうだが、インテリは目をつけられて何かといじめられたそうで、いじめる側は得てしてこの映画における「ヤマショー」みたいなタイプだったみたいである。

 一応軍隊の暗部も描かれるけど、全体的に「兵隊苦労物語」といった喜劇風味。上官から厳しくいびられ続けた軍人がとうとう発狂して軍刀で斬りつけてしまうという騒動もあくまでコミカルだし、兵士の家族が面会にくると兵営の裏手の草むらが夫婦の営みで大混雑、なんて生々しい笑いもある。起床や就寝を告げるラッパに「新兵さんは可哀想だねェ〜また寝て泣くのかよォ〜♪」といった「歌詞」がつくところも、知らぬ者には新鮮だし、当時の軍隊生活を知る者には懐かしいものだったろう(公開時で敗戦から18年しか経ってないんだよな)
 「ヤマショー」はといえばシャバでは生きていくのも大変なので、三度の飯が食えて仕事もずっと楽な軍隊生活を天国のように感じて楽しんでいる。しまいには南京陥落を聞いて戦争が終わってしまっては軍隊から追い出されちゃう、なんとか戦争を続けてもらわないととまで考えてしまう。これはさすがにかなり珍しい人だったんだろうけど、中にはこういう人も実際にいたんじゃないかな、と思わせる。
 ヤマショーはしまいには天皇あてに懇願の手紙まで出そうとしてしまう。この手紙の冒頭がタイトルにもなった「拝啓天皇陛下様」なのだが、戦前、とくに昭和前期においては天皇陛下といえば「現人神」であり「大元帥陛下」。雲の上どころじゃないほど高みにあり、人間扱いされない絶対的な存在だった。そんな人へ「拝啓」などとなれなれしく手紙を出しちゃうというのは、この時代にあってはむしろ大変な「不敬」なのである(実際棟本から「不敬罪になる」と注意されている)。だからこの主人公の感覚はこのタイトルから一瞬想像してしまう右翼的なノリとはまったく方向が違っているのだ。

 その「天皇陛下」がじきじきに登場する場面もある。もちろんさすがにアップでは映らないが、馬に乗って演習を見学し、主人公のそばを通りかかるシーンはある。ヤマショーは天皇を間近に見て、それまで抱いていた絶対君主・大元帥のイメージと程遠い実像にギャップも覚えるが、むしろ「やさしそうな人」と親近感を抱いてしまう。しかし考えてみると、この映画公開時も同じ人が天皇だったんだよな。映画中に昭和天皇その人が出てきた例では東宝の「日本のいちばん長い日」(1967)があるが、あれも松本幸四郎(白鷗)という大物に演じられながら手や足、後ろ姿ばかりが映って顔のアップはゼロだった。この映画の場合、タイトルから言っても出さないわけにはいかないので遠目に、ということになったのかも。

 やがて日中戦争が本格化し、ヤマショーと棟本はまた召集されて今度は本当に戦場に向かう。映画の性格上戦闘シーンはまったく出てこないが、中国戦線での悲惨な戦場の模様はそこそこに描かれている。もちろん日本国内でロケしていて、背景の建物の壁などに「抗日」だの「鬼子」だのスローガンが書かれているのでそれで中国戦線と分からせる仕掛けになっている。
 それが戦後になると、主人公たちが共同生活をおくる宿舎の壁に「民衆の為のオモシロイ機関紙アカハタ」(もちろん日本共産党の機関紙)なんてポスターが貼られてるのがさりげなく映って時代の変化を悟らせるのだが、冷戦終結からずいぶんたった今になってこの映画を見るとこういう細かい仕掛けの意味が分からない人も多そうだ。

 意外とこの戦後部分が長い。終戦直後に医療用アルコールを酒の代わりに飲んでる場面なんかは黒澤明の「酔いどれ天使」を連想させるが、実際にそういうことがあったのだろう。楽しんでいた戦争も軍隊もなくなってしまったヤマショーだが、そこはバイタリティだけは一人前なので、ヤミ屋で口八丁で商売したり(この辺にものちの「テキヤの寅さん」の原型が見える)、日光の開拓団に入ったり、華厳の滝の飛び込み自殺者の処理をしたりと大活躍(?)。美しい戦争未亡人に惚れてしまい、すっかりその気になっていたらふられてしまうあたりもまさに寅さん。ラストについては…まぁ、テレビ版の前にもうそうだったのか、寅さん、とだけ。とにかく渥美清という強烈な個性なくしては成立しえない映画となっている。また一庶民の目線から見た昭和前期史にもなっていて、今となっては歴史映画の一種としても鑑賞できる。

 この映画、なかなか好評だったようで、すぐに同じ監督・主演で続編が作られた。その名も「続・拝啓天皇陛下様」。実はこちらは原作が存在しないオリジナルで(前作のラストからいって当然だが)、渥美清のキャラを使った別人を主人公に、前作と似たような戦中戦後ものになっていた(らしい。まだ見てないので)。そのシナリオには野村芳太郎の教え子である山田洋次も参加していて、それが「寅さん」へとつながって行くことになるらしい。(2013/3/13)
 

 
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